「ブルーフラッグ」を掲げ、湘南の未来を切り拓く!(前編)

 

003

湘南地域の活性化を目指し、2010年に活動を開始したNPO法人「湘南ビジョン研究所」。
「ブルーフラッグ」という、ビーチを対象とした国際環境認証を、日本で最初に湘南海岸で取得するという大きな目標を掲げ、地域の様々な方と連携して活動しています。
「環境・経済・防災が共存してはじめて理想の湘南海岸が実現できる。そのためにブルーフラッグという明確なビジョンを掲げ、すべての人達と一緒に湘南の未来を創っていきたい」。そう語る理事長の片山清宏さんに、NPO法人を立ち上げる背景となった、これまでの人生の歩み、地域活性化への思い、これからの取り組みについてお話を伺いました。

 

片山清宏(かたやま きよひろ)

NPO法人 湘南ビジョン研究所 理事長

プロフィール)
1975年生まれ。藤沢市出身。1999年厚木市役所入所。2005年イギリス・スウェーデンに海外派遣。神奈川県庁を経て、2010年松下政経塾入塾(第31期生)。2013年NPO法人「湘南ビジョン研究所」を設立(理事長)、海の環境問題に取り組む。
現在、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程在籍中。専門は公共政策・市民自治。趣味はサーフィン。全日本学生サーフィン選手権大会4位。


 

湘南生まれ湘南育ち。サーフィン中心の湘南ライフから公務員へ

--はじめに片山さんのバックグラウンドをお聞かせください。

片山:僕は、湘南の藤沢で生まれ育って、高校からウィンドサーフィンを始め、大学ではサーフィンに打ち込んでいました。年間300日以上早朝に海に入ってから大学に行くというストイックな生活でしたね。
湘南の海が大好きで、サーフィンを続けながらずっとこの街に住みたいと思っていました。それに小学生の時、父を亡くして母子家庭で育ったこともあって、母を経済的に支えたい、人助けをする仕事につきたい、という思いから公務員を選択しました。サーフィンを続けたい、という理由ももちろんありました(笑)。

--それで厚木市役所に就職されたんですね。

片山:はい。事務職採用だったんですが、最初に配属されたのが公園緑地課。公園内の清掃をする現場の作業員の方が身体を壊されて、代わりに私が1年間トラックに乗って毎日公園回りをしていました。「片山は体力があるから現場に行ってこい!」みたいな感じで(笑)。
毎朝サーフィンしてからの出勤。大好きなサーフィンがやれるだけで最高の生活でした。正直、仕事よりサーフィンに対する気持ちの方がずっと強かったですね(笑)

--今の片山さんからは想像がつかないですね。

片山:でも、入庁して2年目くらいになって、ふと思ったんです。10年後、20年後の自分を考えた時、果たしてこのような思いで仕事をしていていいのか?と。
サーフィンは最高に楽しかったけど、プロサーファーでない限り所詮、趣味でしかない。一方で、市役所の仕事は、どんなに単純な事務作業でも何らかのかたちで市民のためになっているんじゃないか。それに気づいたんです。なるほど、これはすごくやりがいのある仕事だと。
そこから、サーフィンより仕事に対する気持ちの方がずっと強くなっていった。考え方を180度切り替えて、モーレツに仕事するようになったんです。

--仕事の価値に気づいたきっかけは何だったんでしょう?

片山:そのころ、サーフィン中心だった2年間の仕事の遅れを取り戻すように、仕事が終わって家に帰ってから毎日、行政関連の本をむさぼるように読んでいました。年間200〜300冊くらい読んでいましたね。それで市役所の仕事が、これからの地方分権という時代の中で非常に重要なることが分かり、自分の仕事に対する使命感を感じ始めたんです。
そんなとき、市役所で市長直属の「21政策室」という新しい部署を立ち上げるため、2~3人の職員を公募により庁内から選出するというチャンスがめぐってきました。
応募条件は、管理職以上だったので、本来私は対象外。でも、どうしても入りたくて応募用紙以外にも30~40枚のレポートを書いて、思いを込めて人事課に提出したら、ありがたいことに選抜していただいたんです。

--大抜擢ですね。「21政策室」ではどのような仕事をされたんですか?

片山:21政策室では、10年後、20年後の市のグランドデザインを議論しました。その中で新規の政策を立案し、予算を執行するという仕事を数多くやりました。
例えば、市のIT基本戦略を2年間かけて策定し、実際にその戦略に基づいて全庁的なプロジェクトをリーダーとして実施しました。市ホームページ全面リニューアルや、データセンターの建設などです。
当時、ITの全国まちづくりランキングで、厚木市は確か140位くらいだったと思うのですが、このIT推進化のプロジェクトの成果で3年後には全国3位に入る実績が出たんですよ。

 

突然の窓口業務への人事異動。市民一人ひとりに向き合うことで、仕事の原点に立ち返る。

004--就職した時の動機からは考えられないサクセスストーリーですね。

片山:でも、それからある日、人事発令がありまして、国保年金課に行きなさいと。数億円の予算を動かしていたプロジェクトリーダーの立場から、急に窓口業務へ異動です。事実上の左遷でした。
今思うと、市役所の中で若造なのにいろいろと目立ってやり過ぎていた面があったと思いますね(笑)。異動したばかりのときは、やりがいを見出せなくて、本当に辛くて、精神的にかなり追い込まれましたね。

--急展開ですね。そこからどうやって立ち直ったんですか?

片山:そんな状態の中でも前向きに考えました。「そもそも、自分は何のために市役所に入ったのか?弱い立場の人のために何か貢献したいという思いがあったからじゃないか」と。
いざ窓口業務にあたるようになって感じたのは、市民の皆さんのために働く公務員の本分はここにあるということ。そこで頭を切り替え、窓口業務に一所懸命取り組みました。
国保年金課の窓口は、会社にリストラされた人、離婚した子連れの女性、生活保護を申請することになった人とか、社会の中で立場の弱い方がいらっしゃるわけです。そういう人たちのために自分にできることがあるというのは、本当に素晴らしいことで、とてもやりがいを感じるようになりました。

--そこでまた原点に立ち戻られたんですね。

片山:そうですね。毎日、窓口に相談に来られた市民一人ひとりに向き合って相談に乗っていました。でも、ここで大きな壁に突き当たってしまったんです。
実は、国保の手続きに来た方々は、その背景にいろんな事情を抱えていることが多く、思うように対応ができなかったのです。例えば、離婚した女性が子どもを抱えてこれから住む家も探さなくてはいけなかったり、実は借金をして困っている方だったり、子どもが障がいを持っていたり。
市役所の仕事って、縦割りで、しかも国や県が決めた細かな制度や規則でがんじがらめになっていて、融通がきかず、こうしたいろんな悩みに全て応えられなかったんです。
結局、人のために働きたいと思って市役所に入ったのに、カウンターの目の前にいる市民一人も助けることができなかった。頑張れば頑張るほど、そのジレンマに悩むようになりました。

--なるほど、本質的な気づきですよね。

片山:国や県が制度や規則で市町村の現場を縛っちゃっているんですよ。そこから、中央集権的な制度にものすごい憤りを感じるようになったんです。地域のことは地域で決める体制を作れないと、市民を救えないと。
それで、「制度を執行する立場」から、「制度を作る立場・変える立場」に行かなくてはならないと考えたんです。つまり、政治の仕事です。これが自分にとって大きく意識が変わったきっかけでした。30才の時のことです。

 

後編(8月4日掲載予定)に続く。

SNSでもご購読できます。

コメントを残す