インタビュー

みんなが幸せになれるジーンズを
〜湘南茅ヶ崎の、愛あるジーンズ touch is love ®(タッチイズラブ)〜(後編)

お客さんの自宅に伺って採寸するスタイルからビジネスがスタート。

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−−お客さんにあったジーンズを作られる際に、どういったところにこだわられていますか? 

もちろん、デザインや縫製はこだわっていますが、一番大切なことはお客さんにサイズが合っていて、繰り返し履いてもらえるジーンズになることだと思っています。サイズが合わないと、タンスにしまわれっぱなしになるじゃないですか。

それでは、愛あることを伝えたくて、愛あるデザインの企画を考えて、愛ある生地や糸を使って、愛ある工場で作った、愛あるジーンズの意味がないし、自分自身も、この仕事をしている意味がないと。

お客様には、お手間をとらせて大変申し訳ないとは思うのですが、ジーンズが出来上がった時に、お店にもう一度ご来店いただいて、試着していただいて、サイズを確認していただいています。

それと、長持ちさせるための、ジーンズの洗い方もお伝えしています。

−−とても細かなところまでこだわりを持たれてますね。 

最初から、一般的に言われる『こだわりの商品』を作ったり売ったりすることを、やろうと考えて始めた訳ではないんです。自分が愛ある仕事をしたいと思った時に、できることはジーンズしか思い浮かばなかったんです。それと、会社員時代にいろんな経験をしてきたから、touch is love®の、愛あることを伝えたいというブランドを始めたのだと思います。

 

新しい人生を迎えるための「マイ」ジーンズ

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−−どんな方が買いにいらっしゃるのですか?

1本2万円近くするジーンズなので、決して安価ではないのですが、だからといってお金持ちの方が多いというわけではないようです。統計的に見ると、年齢的には30-50代がメインで、男女比が65:35くらい。これは僕の偏見かもしれませんが、ここにいらっしゃってジーンズを買われるお客さんは、ご自身のライフステージが変わる潮目に、いらっしゃる方が多いような気がしています。例えば、転勤や独立の時が多いでしょうか。
今までの生活に何か変化が起きていたり、もしくは何か新しいことに踏みだそうとされているタイミングで、touch is love ®のジーンズを選んでいただけてることに、感謝してます。

あと、駅から徒歩15分近く歩いた住宅街にポツンとあるお店ですから、ふらりと立ち寄った、なんて人はホントに少ないです。知人の知人とか、Facebookで「いいね」してくれた人の知り合いとか、どこかのブログで知ったとか、そういう何かしら関係のあるところから、来ていただける方が多いです。簡単に言ってしまうと、ネットのクチコミのお客さんという感じですかね。

ネットをフル活用。ブランドの世界観を丁寧に伝えていく

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−−ネットが重要なPRツールになっていますね。

知ってもらうにはやはりネットだなと思って、一般的なネットの通販サイトで売っていた時期もあったのですが1本しか売れませんでした(笑)。リーバイス時代の後輩にジーンズを見せたら「これ、商品力2割、工藤さん力8割ですよ」と言われて「商品力ないのか〜」とガッカリした時もあったのですが、実はそうじゃなくて、コンセプトとか作り手の価値観をちゃんと伝えないとダメなのだなと考えなおしました。リーバイスに勤めていた時の感覚でメーカーのカタログサイトを作っていたのですが、本当はtouch is love®の世界観が伝わるようなwebサイトにしておくべきだったのです。

ネットに詳しい知り合いに相談して、シンプルな作りに変えたり、ブログを書き始めてみたり、世界観を伝える工夫をしたり、変えていったのです。何しろ販路はネットしかないなと思っていますので、素人ながらGoogleのAnalytics(サイトアクセス解析ツール)とにらめっこしながら、webサイトの動向はチェックするように心がけていますよ。
−−具体的にはどのようなチェックをされているのですか?

毎日とまではいかないですが、週に何度かはGoogle Analyticsで、来訪者数・直帰率・行動フロー・離脱率は見ています。例えば、webサイトの構成をシンプルにしたらネットユーザーへのリーチが弱くなって来訪者数が減ったので、ページを追加したところ、直帰率が下がって一人あたりの滞在時間が増えたりとか。行動フローを見たら「コンセプト」を読む前に離脱している人が多いなと思って、「コンセプト」を読みやすいところに載せたりとか。文章よりも写真で伝えたほうがいいかなと思って写真のサイズ変えたりとか。ホントに手探りですが、試行錯誤を続けています。

ネットの情報発信は、webサイトとブログ、Facebookページを使っています。ブログの更新とFacebookページを連動させるようにしていますが、Facebookページはブログにリンクさせるだけだと、「いいね」とか参照数が少ない気がしているので、写真とって文章書くようにしています。ネタ少ないので大変です(笑)。

webサイトの通信販売のページで「今お履きのジーンズを、お送り下さい」というサービスは、Google AnalyticsやFacebookページを見ていて意外と遠方の方も多いな、、ということに気付いて始めたのです。素人ながら、数字見ているとなんとなく見えることもあるのだなと思いました。

ネットは、単に情報発信するだけでなく、その反応を見ながら何かできることはないか考えてまた新しいサービスを試したりすることができる、大事なツールですね。

ジーンズ以外に共感してくれる「何か」も大切にしたい

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−−このお仕事を始めて良かったことや思い出深いエピソードはありますか?

僕が勝手にリスペクトしている茅ケ崎のお店の社長さんから、お店のスタッフの誕生日プレゼントにtouch is love®のジーンズを送りたいと相談をいただいたのがきっかけで「ジーンズギフトカード」が生まれました。

ギフトカードを始めることが出来たのも嬉しいのですが、その社長さんのブログ経由で、新しいお客さんが来店されたりしたことも、うれしかったですね。

それと、Facebookページで「いいね」してくれた方が、二年後に「やっと来れました〜」っていいながら最近来店されたり。いろいろな縁で、お客さんと出会えることが、一番嬉しいです。

このお店は、興味を持たないとなかなか来れないお店なんですよね。場所は、大通りに面しているわけではないし、オーダーだから面倒だし、僕が不在の時は閉まっているし・・。ジーンズ買うだけだったら、もっと便利で簡単に買えるところは、沢山あります。
だけど、顔なじみになったお客さんの中には、「今日誰もお客さん来ないでしょ〜?」なんて言いながら、ビールを持って遊びに来てくれると、すごく嬉しくなっちゃいます。今日は誰も来ないかもって、一緒に飲んじゃうんですけどね。

ここに来てくれるお客さんは、ジーンズ以外に共感してくれる何かがあるんだろうなと感じています。商品力2割が、自分にとって、とっても励みになります。自分としては、それが一番うれしいんです。

——工藤さんの優しさや誠実な人柄がにじみ出ている気がします。次回はビール持って遊びに行きますね(笑)

インタビュー締めのひとこと

——工藤さんにとって湘南で働くとは?

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(おわり)

 

みんなが幸せになれるジーンズを
〜湘南茅ヶ崎の、愛あるジーンズ touch is love ®(タッチイズラブ)〜(前編)

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茅ヶ崎の閑静な住宅地の中にひっそりとたたずむ、touch is love® JEANS store。

タッチイズラブ® というブランドの名前の由来は、ジョンレノンのカバーを歌っていた、ブロークンアッシュの love という曲のフレーズ love is touch. touch is love. 「愛することは、ふれあうこと。ふれあうことは愛すること。」というところから。

「愛あるもの作りを、伝えたかったんです。」そう語る、代表の工藤さんは、お客さんひとりひとりのサイズに合わせて、セミオーダーでジーンズを作っている。

店舗というより工房に近いお店は、お客さんとのコミュニケーションを大切にしながら、もの作りをしたいという、工藤さんのこだわりとやさしさが詰まった、心地いい空間だ。
そして、ブランドのテーマ、”May all be happy!”『 しあわせになりたい!』には、ジーンズを履いてくれる人はもちろん、そのジーンズを作る自分たちもしあわせでいたいという願いがこめられている。

ネットを中心に、ほぼ口コミだけでお客さんが訪れるという、touch is love ®について、ブランドに込めた想い、ネット活用の現状についてお話を伺いました。

 

工藤 琢(くどう おさむ)

touch is love ® JEANS store 代表

プロフィール)
1968年生まれ。2000年にリーバイ・ストラウス ジャパン株式会社に入社。商品企画や生産品質管理の仕事を担当し、2006年に独立。国内外のアパレルメーカーや工場向けの、商品企画や品質管理のコンサルティングを手がける一方で、オリジナルブランド touch is love ® を立ち上げる。

 


 

リーバイス退職後、愛あることにこだわったブランドを設立

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--まずお仕事の内容から教えて下さい。

工藤:touch is love® というデニムブランドの直営店をやっています。既製品ではなく、セミオーダーのジーンズです。お客さんのウエストと足の長さに合わせて、一本ずつジーンズを作っています。

--店舗というよりも工房っぽい雰囲気ですが、こちらで作られているのですか?

鎌田:実は、ジーンズ1本を縫製するために、最低でも8種類15台のミシンが必要なんです。縫う場所によってミシンの種類が違うんですけど、さらにセッティングを変える必要があります。今の僕にとって、すべて購入したら1500万円以上かかるジーンズを縫製するための設備を持つことができないので、裁断から縫製の大部分を、リーバイス時代からお付き合いのある、島根県の工場にお願いしています。

この工場のすごい所は、今や国内外を問わず、ほとんどの工場で見られなくなった、現場のスキルアップ研修制度を現在も維持しているところです。
ビンテージ仕様のジーンズを縫える貴重な工場であることは勿論なんですが、それよりも、良いものを作り続けることを誇りに思っていることが、一番うれしいことです。工場の方たちは、良いもの作りをわかってくれるお客さんに、ジーンズを届けたいと思っています。もちろん、僕もですけど。

--お仕事上のキャリアはどのような変遷なのですか?

工藤大学卒業後に、ゴールドウィンというスポーツアパレルの会社に就職しました。10年弱お世話になったあと、実家の割烹旅館を継ぐために一度秋田に帰ったのですが、サラリーマンに慣れ過ぎていたせいでしょうか、2年ほどしてまた東京に戻ってくることになりました。リーバイスに入社したのが2000年ですね。そこでデニムのことを勉強しました。外資系独特の雰囲気で大変なこともありましたけど、良い上司との出会いもあって、貴重な経験をさせていだきました。今、こうして自分のブランドを作ることも出来たのもその時の経験があったからです。リーバイス退職後は、デニムアパレル関連のコンサルで独立しました。独立して1年後に、コンサルの仕事と並行して自分のブランドtouch is love ®を立ち上げて、2011年から直営店舗をスタートさせました。

 

ジーンズはあくまで脇役、お客さん一人ひとりを主役にしていきたい

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--touch is love®を立ち上げた背景や動機を教えてください。

工藤:一言でいうと「愛あることを伝えたかった」という動機です。

カッコ良いジーンズって、いろいろな考え方があると思うのですが、僕はお客さん一人ひとりに、愛あるもの作りの過程を通して作られた、愛あるジーンズを届けることに、こだわりたかったんです。しかも、うわべだけのメードインどこそこと言われるモノ作りじゃないものを。
流行だからという理由で、ジーンズの形や生地を選ぶという作り方ではなくて、ジーンズを履く人が素敵に見えるジーンズを作りたかったのです。

touch is love®のジーンズの、後ろのポケットには、涙の形がデザインされたステッチがあります。洗濯を繰り返すうちに最後は消えて、インディゴの涙の跡だけ残ります。その頃が、一番素敵に見えるんです。
どうしてかって言うと、涙が消える頃は、ジーンズを履いているお客さん自身が、自分の生活に、自信と誇りが持てるようになるからだと思っています。
だから、ジーンズを履いている姿がカッコよくなる。
touch is love®というブランドや、ジーンズが主役になるのではなく、履いているお客さんが、自信を持って生きる毎日に寄り添いたくて、この涙のステッチが消えるデザインにしています。
今は、海外の工場でコストを抑えて作るのが一般的です。しかも、原料も安価なものを使って、バーゲンになっても利益が取れて、売れ残っても処分しやすい製造原価に抑える。これがデザインとは違った、いわば流行です。

たとえば、お尻の部分。世界中の工場の中から安く製造できる工場を優位に選ぼうと思ったら、一般的に普及している8ゲージというミシンを使う仕様にします。僕は、工場が限られるけれど、9ゲージというミシンを使える工場にお願いしています。この差は0.8ミリ。1ミリにも満たない差です。
僕は、ジーンズを履いた時にかっこよく見えるには、凹凸感が大事だと思っています。この、たった0.8ミリの違いが、素敵にジーンズを履きこなすのに、大事な役割をはたしているんです。

あくまでも、ジーンズを履いてくれるお客さんにとって良いことを優先しています。

後編に続く。

生産者からお客様まで、人の繋がりを実感出来ることが最高に嬉しい。(後編)

移動販売ならではの面白みや情報を届けられたら良いですね。

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−−webサイトもキチンと作られていますね。 

webサイトは、イベントの主催者さんをはじめとして、ある程度みられることを意識して作りました。私個人の経歴含めて、UNCLE KENのプロフィールを出来るだけ公開して、知っていただけるようにしています。残念ながら、移動販売・屋台=怪しい、素性が分からないというネガティブなイメージをお持ちの方もいらっしゃいますし。

 

ピザを買っていただけるお客さんに対しては、やっぱり出店スケジュールを知って頂くというのは大事なのですが、それだけだと面白くないし、誰も見てくれないだろうなと思っています。移動先で良い食材や素材をいただいて、その場で当日限定のメニューに加えてFacebookで発信するなど、移動販売ならではの面白みや情報を届けられたら良いなと思っています。

 

そうそう、以前に青山の秘密クラブっぽい感じのイベントに呼ばれて出店したのですが、9割が外国の方でした。もちろん英語メニューなんか用意していませんし、英語で難しいこと質問されても良く分からないし、焦りましたね。幸い写真付きメニューなので、それで凌ぎましたがホントに焦りました。事前に情報をもらったり自分で調べたりはしているのですが、行ってみて初めて分かることも多くて。この仕事の面白いところでもありますね。

 

そんなハプニング含めて、日常的なトピックはFacebookで発信していきたいと思っています。「移動ピザ珍道中」みたいな感じで楽しんでいただければ良いかなと。来店してくれたお客様とはLINEで良い関係作りにもチャレンジしてみたいですね。何しろ私1人なのでそこまで手が回りませんが(笑)。

 

あと、Facebookは情報発信だけじゃなくて、情報収集にも便利に使っています。食材や生産者、話題のお店のチェックに便利ですね。これもいろいろな人の繋がりの中から手に入る、貴重な情報だと思っています。

 

人の繋がりを実感出来ることが最高に嬉しいです。

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−−移動する先々で新しい繋がりも増えて行きそうですね。 

そうですね。そういう取り組みも進めたいです。人の繋がりを実感出来ることや、お客様の顔が見えることが、この仕事を始めて良かったと思えることですね。

 

お客様の顔といえば、春休みと夏休みに、農協さんと共同企画で子供向けピザ教室を行いました。わいわい市で買ってきた野菜をピザ生地に乗せて、私と一緒に車内に入ってピザ窯で焼くという企画です。もちろん火を使うので、安全に配慮しながらです。車内に入ってピザ窯を見る時、焼きたてのピザを取り出した時、自分で作ったピザを食べる時、お子さんの目が輝いているのです。ああ、良かったなと思いました。

 

老人施設やデイケアサービスの拠点を訪問して、子供向けのピザ教室と同じように焼きたてのピザを食べていただく企画を準備中です。そういう拠点では、介護やリハビリの観点から農園運営をされているケースがあるのです。自分達で作った野菜をピザにトッピングして、焼きたてを食べていただけたら最高だろうなあと妄想しています(笑)。

 

 

人と同じでは満足出来ないです。変わり者ですから(笑)。

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−−これからの夢や、今後やってみたいことは? 

「販売」だけではないことを仕掛けて行きたいですね。薪窯とピザという看板を掲げて、あちこちのコミュニティに飛び込んで行く。そしてそのコミュニティの皆さんとのコラボを広げるみたいなイメージです。

 

ピザは子供ウケも良い。生地を伸ばしている様子などの調理工程は見ているだけでも楽しい。具材で色々なカスタマイズも出来ますし、食事でもおやつでもオッケー。パーティーやイベントでの使い勝手も良いし、外国人コラボの可能性があると思っています。

 

移動販売ならでは・・の夢がある一方で、固定店舗のこともやっぱり考えます。例えば「メニューの無いピザバー」とか。常備しているのは、生地とオリーブオイルだけで、具材は毎日旬なものが入ってくるのでカウンターのオヤジに聞かないと分からない、寿司屋みたいなピザ屋なんてやってみたいですね。

 

人と同じでは満足出来ないです。変わり者ですから(笑)。人と違うことをやる大変さもたっぷり味わいましたけど。

 

−−最後に宮下さんの休日について教えて下さい。 

休みの日には、美味しいと評判に聞いていたお店に食べ歩きに出かけます。あとは食材探し、生産者訪問していることが多いですね。美味しいと聞くと、行かずにはいられないのですよ。

 

お店ではないのですが、最近気になっているのは焼き芋です。平塚でごく一部の生産者しか作っていない「クリマサリ」という幻のサツマイモがあるのです。名前の通り、栗よりも美味しいと評判らしいです。近いうちに、この薪窯で「クリマサリ」の焼き芋をやろうと企んでいます。ピザと焼き芋。普通のピザ屋さんだと絶対に出せない組み合わせですね。

 

こういった、あまり知られていない素材をUNKLE KENを通じて知っていただけると嬉しいですね。素材の生産者さんの情報もどんどん発信して行きたいと思っています。地産地消で地域の活性化にも繋がりますし、一粒で二度美味しいということで!

 

−−休みのお話を伺っていたはずが、結局お仕事の話しに戻ってしまいましたね(笑)!これからも美味しいピザ作り頑張ってください!。 

 

インタビュー締めのひとこと

——宮下さんにとって湘南で働くとは?

 

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(おわり)

 

生産者からお客様まで、人の繋がりを実感出来ることが最高に嬉しい。(前編)

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UNCLE KENを語る上で大切なキーワードは、「地産地消」。

「薪割り、小麦作り、フレッシュバジルなど、どこまで自分がたずさわっていけるかの挑戦でした」―そう語る宮下さんのピザは、すべての工程において自分の目で確かめ、素材生産者と顔の見える関係の上で作られている。

人が集まる場所に石窯を積んだワーゲンで出向き、移動販売を手掛ける一方、美味しいと評判に聞いたお店や、湘南地域の地元生産者の元にもこまめに足を運ぶ。

「人の繋がりを実感出来ることが最高に嬉しいです」―人懐っこい笑顔で語る健おじさん(UNCLE KEN)に、「本格窯焼きピザ」に対するこだわり、そしてこれからの夢についてお伺いしました。

 

宮下 健(みやした けん)

移動販売の本格窯焼きピザ UNCLE KEN代表

 

プロフィール)

1970年生まれ。1989年に神戸屋レストランに入社。

約20年にわたりパンや料理に携わりそこで初めてイタリアの本格的な薪窯に出会う。ガスや電気式の窯とはまるで違うピザの美味しさに感動し、神戸屋レストラン退社後、ワーゲンバスに薪窯を積んだ、本格窯焼きピザ移動販売「UNCLE KEN」のビジネスを開始。

自身も生産に関わっているという「湘南藤沢小麦」を使い、地元ならではの食材を使ったこだわりの本格ピザにはリピーターも多い。
人気メニューは、地元産のフレッシュトマトを使った「マルゲリータ」や、江の島の漁師さんのシラスを使った「江ノ島シラスと生のり」。

 


 

 

薪窯ピザへのこだわりが移動販売ビジネスをするきっかけに。

 

−−まず、お仕事の内容について教えて下さい。 

薪窯Pizza UNCLE KEN」というピザの移動販売をしています。ドイツから取り寄せたワーゲンに石窯を積んで、毎日色々な場所に出店して焼きたてのピザを提供しています。活動エリアは、私の地元である藤沢を中心とした湘南エリアですが、青山や勝どきなど都内にも定期的に出店しています。ロックフェスなどのイベントに出店することもありますよ。

 

−−もともとは神戸屋にお勤めだったのですよね?

はい。20年ほど勤めた神戸屋を退職して、この仕事を始めました。神戸屋勤務時代に初めて薪窯で焼いたピザを食べたのですが、その美味しさに驚きました。それまで自分が食べてきた宅配ピザやスーパーで売っているピザとは全然違う、あのピザを皆にも味わってもらおうと思ったのです。

 

構想からスタートするまで、1年かかりましたね。車の改造だけで半年。思ったより時間がかかってしまいました。普通はサラリーマン続けながら、準備をしておくのだろうと思いますが、私は完全に退職してから準備を始めたので、周囲からはお前は馬鹿か!と言われましたねえ(笑)。

 

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ピザ以外にも考えた業態もあったのですが、自分一人で始める商売でしたし、私は器用じゃないので一品でこだわりのある商品が良いだろうと考えていたのです。自分の中では自然にあのピザだな、と決まりましたね。

 

でも、いざお店を出そうと思い物件を探してみたら、なかなか決まらない。薪窯がネックだったのです。煙と臭いが周囲のお店から歓迎されなくて。ガス窯ならその辺りクリア出来るのですが、やっぱり薪窯でやりたかったので移動販売から始めることにしました。

 

自分でやる、地産地消、そして顔が見える関係

 

−−薪窯にはそんなご苦労があったのですね。薪窯以外にも色々なこだわりがありそうですが? 

どこまで自分でやれるか?というチャレンジ。あと地産地消です。

 

UNKLE KENのピザ生地は「湘南藤沢小麦」という地元の小麦粉から作っているのですが、その小麦自体を私が畑で作っています。農業未経験ですが、自分でやるチャレンジですね。薪も自前です。近所の造園屋さんから伐採後の木材をいただいて、自分で薪割りして使っています。季節によって桜とかブナとか、手に入る材木の種類が違ってきますから、ピザの風味に季節感も出ますし、一石二鳥です。

 

その他の食材も出来るだけ、地元から調達するようにしています。自分で説明出来ない食材を使うのは嫌なのです。このシラス(メニューにあるシラスのピザを指しながら)は、江ノ島の新生丸さんから仕入れています。藤沢のレストランに務めている友人に「藤沢で一番ウマいシラスはどこ?」と聞いたら、紹介してくれたのです。多くのシラスは保存のために塩を使うので、ピザの具材で使うと塩分が強くなってしまうのが気になっていたのです。新生丸さんは鮮度重視で塩が少ないので、シラス本来の甘みが強いですし、ピザで使うにはピッタリです。

 

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ここ(寒川わいわい市)に出店していることが多いので、自然と農家の方々と知り合いになれましたし、その時期の旬なものとか、素材の話しとか、生産者さんから直接お話し聞けるので本当に助かっています。地産地消の延長になりますが、顔が見える関係を大事にしながら、仕事をしていきたいと思っている点もUNCLE KENのこだわりですね。

 

素材だけではなく、出店の場所についても同じですね。最初は場所探しに苦労しましたけど、農協さんと良い関係が作れたところから、ここに出店させていただけるようになりましたし、湘南ベルマーレのホームゲームや都内にも定期的に出店出来る拠点が広がって来たり。おかげ様でだいたい2ヶ月先くらいまでは出店スケジュールが決まるようになりました。どうにか軌道に乗ってきたかな。

 

後編(12月22日掲載予定)に続く。

地域貢献は自分の成長機会。すべて地続きなんです。(前編)

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「地域貢献も仕事もプライベートも、全て私にとっては地続きなんですよ」― 初対面ながら、気さくにインタビューに答える小川さんの活動領域は広い。

地域密着の建設会社を経営する傍ら、11月23日開催予定の「ちがさき VELO FESTIVAL」の実行委員長等、地域貢献活動にも積極的に取り組む。また、マウンテンバイクやクレー射撃などの多彩な趣味も持つ。

「生きることは楽しむこと。オンとオフの区切りはないですね」―今も様々な領域でチャレンジし続けている小川さんに、地域貢献への思い、そして今後の取り組みについてお伺いしました。

 

小川 裕暉(おがわ ゆうき)

大栄建設工業株式会社 代表取締役社長

プロフィール)

1970年生まれ。茅ヶ崎市出身。

建築専門学校卒業の後、業界最大手の一角である大成建設での勤務を経て、父親が経営する大栄建設工業に入社。35才で父親の後を継ぎ、同社代表取締役社長に就任。

一般住宅や公共施設の新築やリフォーム、耐震補強工事などを主とした大栄建設工業の代表を務める傍ら、茅ヶ崎商工会議所青年部の会長も務め、「ちがさき VELO FESTIVAL」実行委員長、「茅ヶ崎まちづくり協議会」委員など、茅ヶ崎市活性化のための地域貢献活動にも積極的に取り組んでいる。

 


 

コンピューター少年だった中学時代。

 

−−まず、お仕事の内容について教えて下さい。 

いわゆる地場の建設業です。公共工事、民間工事、ビルも住宅もやります。先代である父が創業して、私は二代目社長ということになりますね。

−−小さいころからお父さんの仕事を継ぐという気持ちはあったのですか?

いえ。ありませんでした。中学生のころは、コンピューターの仕事をしたいなと思っていたのです。意外でしょう?(笑)子供のころ、父親にコンピューター(PC98)を買ってもらったのです。PC98は遊べるゲームソフトが少なかったので、中学2年生くらいから自分でゲーム作るためにプログラミング覚えたり、キャラクターの自作ツールを作ったりしていました。学校の勉強はあまりしませんでしたが、プログラミングはずいぶん勉強しました。その頃使っていたキーボードや自分でプログラミングしたディスクも、大事に取ってあります。

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オフィスの片隅にはコンピューター少年だった頃に使っていたキーボードが!

ーーコンピューター少年だったとは意外でした! 

ところが、高校進学の時に父親に「鶴嶺高校か小田原城北工業高校だったら、バイク買ってやる」と言われて、すっかりバイクに釣られてしまったのです。コンピューターも好きだったのですが、友達と一緒に鈍行列車で鈴鹿に八耐レースを観に行くくらいバイクも大好きだったもので・・。鶴嶺高校は、学力的にちょっと厳しそうだなと思い、小田原の城北工業に行くことにしました。城北工業高校を卒業後は、都内の建築専門学校に進み、そこで良い先生との出会いがあって、大成建設に就職させてもらいました。振り返ってみると、高校に入ってからは、すっかり建設の世界でしたね。

−−大成建設の後、お父様の会社である大栄建設工業に入社ですね。

そうです。大成建設には5年ほどお世話になって、26才でこの会社に入りました。最初は大手ゼネコン勤めの気質が抜けなくて、「社長の息子がデカい態度で何を言ってんだ?」みたいな感じで、社員からも取引業者さんからも嫌われて全然ダメでしたね・・(苦笑)。

しばらくそんな感じだったのですが、さすがに半年経ったあたりで「このままではダメだ・・!」と気が付きました。同じ建設業とは言え、日本を代表するスーパーゼネコンと地場の建設業ですから、仕事の進め方から何から全く違うのだと。自分を変えようと思いました。やはり、みんなと一緒になって仕事やらなきゃなと思って、気持ちを変えて少しずつ社員や取引業者の皆さんとも打ち解けていくところから始めました。

 

あの経験がなかったら、二代目の「ボンボン」のままだったと思います。

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−−そこがひとつの転機だったのでしょうか?

はい。でも大きな転機がもうひとつありました。28才の時に先代の社長から「俺は口出ししないから、会社の運営を自分でやってみろよ」と言われたのです。現場のことは良くわかっているつもりで、自分なりに頑張ったのですが、その内、会社で抱えていた現場は竣工してしまって、だんだん仕事が無くなっていくのですよね。まあ、当然なのですが。

仕事がないので、社員には毎日倉庫整理をお願いしていました。仕事は勝手に入ってくるものだと思っていたんですね。当時の常務に「仕事は自分で取ってこないとダメだ!」と言われて、初めて気がついたくらいです。自分でチラシを作って個別訪問の営業を始めました。辛かったですね。「仕事下さい」って頭下げるのが嫌でした。でも、そんなことを1年くらい続けるうちに、新しいお客様も出来て少しずつ仕事が入ってくるようになりました。

−−二代目とは言え、創業に近い経験を踏まれていますね。

はい。本当に口を出さずに黙って見てくれていた先代社長には感謝しています。もちろん会社に余力もあったのだと思いますが・・(笑)。そんな経験を積ませてもらったことが、社長をやれる自信につながったと思います。32才の時に、社長になりたいと思いました。役所の仕事をしていた関係上、3年間の役員経験が必要だったので、すぐに役員にしてもらい、35才の時、会社の30周年に合せて先代と交代して社長に就任しました。

あの経験がなかったら、私はボンボンのままだったと思います。自分も先代と同じような度量があるかは、甚だ不安ですが、少なくとも次の社長が困らないように、会社の仕組みを作ることが自分の仕事だなと思っています。

−−やはり三代目はご子息にという思いですか?

いえ。そういう思いは特にないですね。今の会社のメンバーに引き継げるような仕組みを考えています。もちろん、子供が継ぎたいというのであれば、彼もその候補になるかもしれませんが、それを第一に考えている訳ではありません。永く続く会社にしたいと思っていますので、そのために出来ることをやりたいと思っています。

 

後編(11月25日掲載予定)に続く。

地域貢献は自分の成長機会。すべて地続きなんです。(後編)

地域社会への貢献を通じて、自分自身も成長していきたい。

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−−小川社長の仕事に対するこだわりをお聞かせください。 

建設業界で働く人であれば、技術力や実績などへのこだわりは、それぞれが持っていると思いますし、もちろん私も人並みに持っています。が、私は地域社会への貢献にもっと力を注ぎたいと思っています。

建設業を営まさせてもらっている地域に還元したいという思いもありますが、私は、地域貢献は自己修練の場だと考えています。地域に貢献しながら、その活動を通じて自分も成長出来るような場にしたいと。そういう思いで、会社の行動指針でも「社会貢献への積極的参加」を呼びかけています。

−−湘南祭やちがさき VELO FESTIVALの実行委員長を引き受けられたのも、そういう活動の一環ですか?

はい、そうです。そして、東日本大震災があってから、さらに、それらの活動に大きく踏み込むようになりました。

湘南祭の実行委員会を母体に、炊き出しや救援物資の支援を行っていたのですが、「継続するにはお金がいる。その資金を集めなきゃ。チャリティイベントをやろう!」ということになりました。また、もっと長期的な支援が出来ないだろうか?という視点から、桜の植樹をしました。ただの植樹ではなく、桜の木の里親を募る形をとりました。里親がいつか自分たちの植樹を見るために観光に訪れることで更なる復興につながるのではないかという狙いです。

こういった動きは、それまでの我々の地域社会貢献活動には見られないケースでした。大震災のような出来事に直面した時に、一人ひとりが意思を持って活動していくこと、そのベースに地域社会やコミュニティがあることで、何倍もの大きなパワーを生み出せることが分かったのです。これが「街や地域をつくる」ということなんだな、と実感しました。私の中で凄く大きな経験です。

そういう経験から、会社としても地域社会への貢献にはもっと取り組んで行きたいと思っています。実際には、社員のみんなも現業が忙しいので、まだまだ十分な取り組みにはなっていませんが、その分、私が率先して活動していきたいですね。仕事には直接関係ないように見えがちなので、「社長は仕事しないで遊んでばかりいる!」と社員に怒られないように気をつけないといけませんが・・(笑)。

 

 

「縦」の組織から「輪」の組織へ

 

−−仕事で、最近嬉しいことは? 

お客様に喜んでいただけるというのが一番なのですが、同じくらい大事にしたいのは、会社のコミュニティ力ですね。私は「会社=コミュニティ」と捉えていて、会社自体が社会に必要とされるコミュニティにならなくてはいけないと思っています。

先日、ある社員が担当している現場で色々問題が起きて困っている時に、別の社員が助けてくれたということがありました。以前は、自分がコーディネートしないといけなかったのですが、今は社員同士の自発的な連携が生まれるようになってきました。上意下達の「縦」の組織から横の繋がりがある「輪」の組織になってきたことを実感しています。凄く嬉しかったですね。

−−基礎体力が付いてきたということですね。これからの小川社長の夢は? 

先ほども少し触れたのですが、この会社が永く続いて欲しいという思いがあります。10代目社長なんていたら、かっこいいじゃないですか。種を紡いでいく、繋いでいくようなことが出来たらいいですね。自分がそのための仕組みを作って、そのステージで10代目社長が活躍してくれたら・・と思うとワクワクします。

 

 

オンとオフの区切り?ないですよ。(笑)

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 −−最後に、小川社長のプライベートや休日について聞かせてください。

祖父と父親が狩猟をやっていた影響もあって、射撃をやっています。私は狩猟ではなくクレー射撃ですが。オフロードの自転車で山を走りに行くこともあります。

実は、カレー好きが高じて、スパイス料理のお店をプロデュースしました。インド料理屋で出会ったカレーに衝撃を受けまして。ネットで調べて、色々なスパイスを調合して家族や友人に食べてもらっているうちに、最終的に調子に乗ってお店(ダイニングルーム「はる」)を出すことなっちゃいました(笑)。

 

私は、生きることは楽しむことであって、仕事はそのためのツールでしかないと思っています。もちろん、仕事に対する思い入れやこだわりはありますが、基本は仕事がメインではなく楽しむことが大事。だから、オンとオフの区切りはないですね。ぜんぶ地続きです。

 

——10代目社長、楽しみですね。今度、ダイニングルーム「はる」にもお伺いさせていただきます!(笑)

 

 

インタビュー締めのひとこと

——小川さんにとって湘南で働くとは?

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(おわり)

 

「フジマニ」式地域活性の仕組みを創っていきたい。(後編)

 

リアルじゃないと出来ないコミュニケーションを大切に。

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--11年続いている「フジマニ」のこだわりは何ですか?

三浦:ローカルでマニアック、よそが集めないような細かい情報を集めたいと思っています。当時のフリーペーパーは、小さい文字で広告がギッシリ詰まっているような誌面が多かったですし、最近ではクーポンマガジン的な誌面が多いと思うのですが、私は「読みやすさ」とか「カッコ良さ」に価値があると思っています。そこはずっと大事にしたいと思っていますね。

また、広告学校時代に再確認したのですが、苦労して提出した課題を先生や仲間から褒めてもらったり、アドバイスをもらったりすると、単純に嬉しくなるのです。やはり目の前の人との関係って凄く大事だなって思いました。中高時代にネットを通じた原体験をしてきたのですが、だからこそリアルな人の反応が面白いのかもしれないですね。

リアルじゃないと出来ないコミュニケーションってありますよね。以前、凄く無愛想な店主さんで、話しにくいなあと思っていたことがあったのですが、ちょっとした一言で小学校の先輩後輩ということが分かって。その後は凄くスムーズに話しが進みました。リアルなコミュニケーション、大事にしたいですね(笑)

 

--リアル重視な三浦さんですが、ネットもちゃんと活用されていますよね?

三浦:PCとネットの原体験があるのですが、だいぶ時間が空いてしまったこともあって、技術的な部分であまりキャッチアップできてないなあ、と思っています。でも、最近WordPressとFacebookを使うようになって、少し変わりつつありますね。

昨年、フジマニのwebサイトをWordPressベースリニューアルしました。プラグインで、簡単に色んなことが出来るようになっていて、凄くいいですね。今は、フジマニのコンテンツを電子書籍化して、ネット経由で誰でも見ることが出来る環境作りを進めています。

Facebookも、2011年から開設はしていたものの、こちらも上手く活用出来ていませんでしたが、昨年から「コンテンツ作り」ではなく「コミュニティ作り」に意識を変えました。フジマニ誌面の「湘南ワイン部」と連携したFacebookページを作ったのですが、700人以上(※メーリングリストの購読者含む)のワイン好きコミュニティに育ってくれました。

 

Facebookを利用した集客の成功事例へ。

 

--湘南ワイン部の活動について、もう少し詳しく教えていただけますか?

三浦:広告ビジネスに付きものの課題だと思うのですが、クライアントの新規営業をやり続けなければいけないという悩みがありました。何とかしたいと考えつづけていたのですが、単なる媒体ではなく、クライアントにお客様を連れてくる仕組みを作ろうと思い至りました。リサーチをしているうちに、「ワイン好き」な人は、良いお客さんになってくれるという仮説にたどり着きました。

私自身は、ワインの知識は人並み程度しかないので、専門家に参加いただくことにしました。ワインの情報と月イチの定例会をセットにしたコミュニティを作り、そこに地域の飲食店様にクライアントとして参加いただいています。誌面でワイン部のことを知っていただき、より深い情報はFacebookページで入手していただくという流れが出来ました。ワイン好きという属性の人を集める仕掛けとしてwebを活用出来るようになってきたと思います。

ネット活用という点では、過去にUstreamの番組配信なども行ったのですが、全然上手く行かなかった。その経験が活きてますね(笑)。Ustreamのコンテンツはウケたようで、一定のファンがついてくれたのですが、やはり面白さや勢いだけでは、ビジネスとしては回らない。湘南ワイン部は、その反省を踏まえ、ビジネスとしての建て付けは良く考えて立ち上げました。

Facebookを活用した集客の成功は、大船ビアフェスティバルでも、ノウハウとして活かすことが出来ました。Facebookで発信する情報の作り方や更新タイミングなどを工夫して、1回の情報発信で3,000人以上の人に届くようになるなど、目に見えて向上してきました。

 

--クライアントの皆さんの反応はいかがですか?

三浦:ワイン部の定例会はクライアントである飲食店様のお店で行います。実際にワイン好きの部員(お客様)がお店に来ます。やはりお客様の顔が見えますから、その点は好評ですね。しかし、この広告は従来のように「掲載して終了」ではありません。飲食店様が、ワイン好きの部員と直接コミュニケーションしていただきたいなと思っています。

実際に、使い方によって飲食店PRに差が出てきていますね。ワイン好きの部員を集めるだけではなく、飲食店様同士の成功事例の共有が出来るところまで仕組み化して行きたいと思っています。

 

--最後に、これからの夢や今後やってみたいことを教えて下さい。

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三浦:ネットの時代ですから、デジタルな情報流通に注目が集まっていますが、実はローカルでマニアックな情報は、紙のほうが伝わりやすいのではないかと思っています。老若男女、世代を問わず、手にとってすぐに情報が手に入るという点は、まだまだデジタルにはできてない、紙の強みですね。

紙をインデックスにして、ネットのより深い情報につなげていく。そんな地域の情報流通の仕組みを作って、地域活性化の仕組みとして全国に広げて行きたいです。全国の各地域に想いを持っている人たちが、フジマニ式の情報流通の仕組みを使って地域を元気にしていく、いつかそんなことが出来たらいいなあ、と思っています。

 

--フリーペーパーの発行を通じた、地域活性のプロデュースですね。フジマニの全国展開、楽しみにしています!

 

インタビュー締めのひとこと

--三浦さんにとって湘南で働くとは?

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(おわり)

「フジマニ」式地域活性の仕組みを創っていきたい。(前編)

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藤沢をはじめ、湘南エリアの地域情報に特化したフリーマガジン「フジマニ」。

創刊11年を迎え、3万部の発行部数を誇る同誌では、知る人ぞ知るマニアックな湘南情報が取り上げられることも多い。

クーポン全盛のフリーマガジンにおいて、読みやすく、他が集めないような細かい地域情報を拾い集めていく「フジマニ」の誌面作りへのこだわり、地域活性化への思いについてお話を伺いました。

 

三浦悠介

フジマニパブリッシング代表

プロフィール)

1983年生藤沢生まれ。地域情報誌フジマニ編集長/湘南の象徴、江ノ島を擁する「藤沢」を中心に、湘南エリアの地域情報誌を無料で毎月3万部発行中。

藤沢商工会議所青年部2013年度理事/KIDDIE湘南C-X保育園地域コーディネーター

 


 

父親のお下がりのMacからスタートした創作活動

--まず、お仕事の内容について教えて下さい。

三浦:藤沢でフジマニパブリッシングという会社を経営しています。フジマニパブリッシングのメイン事業は、湘南エリアの地域情報フリーペーパー「フジマニ」の発行です。主な収益は「フジマニ」への広告掲載料になります。2003年創刊で、今年で11年目に入りました。

--この仕事を始めた背景は?

三浦:フリーランスの広告デザイナーを生業としていた父親のお下がりで、小学校5年の時にMacintoshのQuadra800を手に入れたのです。当時の価格で、100万円以上するコンピューターをおもちゃ代わりに使える稀有な環境でした。贅沢な小学生ですよね。

オタク気質な友達にhtmlを教えてもらい、ホームページを作りました。まだダイヤルアップ+テレホーダイの時代です。個人のホームページも少なくて、多い時は月間で5千から1万ヒットくらいありました。PCを使った制作やwebでの発信の楽しさに目覚めたこともあって、中学〜高校はホームページ作りや創作活動に入れ込んでいました。私の原体験ですね(笑)

そんな感じの子供だったので、物書きとかゲームデザイナーになりたいなんて思っていました。自分が好きなゲーム制作者に千葉まで会いに行ったこともあります。会ってお話伺ったら「あ、これは自分には無理だな」とすぐに気付けたので、逆に良かったですね。モノ作りの発想が全然違うのだなあと思い、すぐに諦めがつきました。

広告学校に通うことで、「発信する楽しさ」を具体的な行動に。

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--凄くクリエイティブ志向な中高生時代ですね!

三浦:今思えば、普通の青春っぽい感じは少なかったですが(笑)。その後は進学も考えたのですが、いくつか見て回った大学に魅力を感じなかったこともあり、大学進学はやめにして4年間好きなことをやることにしました。実はその時、最初にバイトしたのがココ(※このインタビューは藤沢OPAのタリーズコーヒーで収録)のコージーコーナー。当時は粉からピザを作ったり、本格的なパスタがあったりで、私は厨房で料理を作っていました。

最初の1年間は、バイトしたお金で旅行に行ったり、格闘技習ったり、バイク買ったり、とにかく興味あることに何でも手を出しました。でも、まる1年経ってみたら何も残ってなかった(笑)。さらに1年好きに遊ぶという選択肢もあったのですが、何かやりたいなと思っていました。「発信する楽しさ」の原体験があったからだと思います。

その頃、定期購読していた雑誌「広告批評」に掲載されていた広告学校が目に止まり、広告のことをちゃんと勉強してみたいと思い半年間通うことにしました。やっぱり何か制作したり発信したり、そういうことがやりたかったのだろうと思います。

広告学校には、実際に広告業界で働いているクリエイターの方が沢山いて、私にとって凄く良い場でした。広告学校では一番年下だったこともあって、可愛がってもらえました。新宿2丁目に連れて行ってもらったり、佐藤可士和さんとお会い出来たり(笑)。広告の世界に入るのも良いなと思ったのですが、先生から「広告の仕事は学歴が大事。大学に行きなさい」と言われまして。今から大学進学というのもあまり現実味が無く、以前から、地元で何かできないかなと思っていたところもありましたので、「それなら中央の仕事ではなく地元でがんばろう」と思い、地元で起業をすることにしました。

起業する時は、自分が持っているカードは何だろうと考えましたね。地元のネットワーク、文章好き、PCとDTP環境。あと、私は古着好きで、地元の古着屋さんの知り合いも多かったので、古着屋さんを紹介するフリーペーパーを作ることにしました。古着屋さんに事前に相談して広告費の検討もつけて、2002年12月の広告学校卒業後、2003年4月に第一号を発行しました。思ったような価格で広告費が集まらず、結構苦労しましたが・・。今は古着屋さん情報ではなくなりましたが、何はともあれ、11年続けています。

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「フジマニ」の原型となった「FUJISAWA MANIA」第一号(2003年4月発行)と、「フジマニ」の最新号

 

後編(11月4日掲載予定)に続く。

「人と人」というあたたかみを大切に(後編)

「鵠沼三丁目デザイン」

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——この会社の名前の由来は?

鎌田:最初は、ホントに鵠沼だけにターゲットを絞ってやろうと思っていたのです。「まちの電気屋さん」のように、地域に頼られるような制作事務所になりたくて。そして「三丁目の夕日」のような、地域に根付いた、人との距離が近いサービスを提供していきたいという思いから「三丁目」と付けました。実は「鵠沼三丁目」という地名は無いのです。だから鵠沼の人々にとっては「ん?」と違和感を持つ名前になっています。それが、コミュニケーションのきっかけになれば良いなとも思っています。

——いま現在は、クライアントはどのような感じですか?

鎌田:鵠沼限定とは言わないまでも、近辺の方が圧倒的に多いです。湘南と鎌倉がほとんどですね。飲食店や美容室などの個人事業主さんが多いです。集客のチャネルとしては、知り合いからの紹介が4割、webの問い合せが6割といった感じです。以前は逆でしたが、徐々にwebからのお問い合わせをいただくことが増えてきました。

——その変化の要因とはなんでしょう?

鎌田:ブログの記事が増えたことですかね。蓄積によって記事ごとにアクセス数も増えて、見てくださる方も増えてきていますので。あとは親近感も持ってもらいやすくなって、「相談してみようかな」と思ってくださる方が増えてきたのだろうと思います。また、Webからお問い合わせいただく方は、サイトやブログの雰囲気を見て「なんとなく」のフィーリングが合って発注いただいているのかなと感じます。

——さまざまなクライアントと関わっていく中で、鎌田さんのこだわりのようなものはありますか。

鎌田:直接お会いして、話をすること。「とりあえず会いに行く」ことをとても大切にしています。メールや電話でやりとりしていてお互いモヤモヤしてうまくいかない時も、直接会って話せばアッサリ解決することが多いんですよ。クライアントにとっても、自分にとってもいちばん良いやり方だと思います。

——やっていてよかった〜!と思える瞬間はいつですか?

鎌田:魅力的なお店からご発注いただけていること、制作後に喜んでいただけていること、さまざまな業種の方のお話を伺えること、などですね。

最近は、鵠沼海岸駅にある「ミト屋」という、カフェを併設したドッグトレーニングのお店と仕事をしました。お店を始める前に発注をいただいて、「こんなふうにやりたい!」というわくわくした顔を見ながら一緒にwebサイトを作り上げていきました。サイトだけでなくロゴも作らせていただいて、それが看板になったりして。嬉しかったですね。

——逆に、困ったことなどはありましたか?

鎌田:「街の電気屋さん」みたいなスタイルを考えていた時期もあったのですが、1人でインターネットの相談を一手に引き受けることは、時間的にも厳しかったですね。また、いつでも優しく、何でもかんでもお客さまのいう通りにすることは、相手にとっても自分にとっても良いこととは限らないと思いました。お互い良い関係を築くのは大変で、人との距離感は難しい。だからこそ、サービス提供の前に成り立つ信頼関係の重要性を感じています。

 

Tシャツ de コミュニケーション

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——これから先やっていきたいことは何ですか?

鎌田:Tシャツ作りです(笑)。
ウェブ制作もそうですが、物を作ることが好きなので、昔からTシャツを作って自分で着たり、人にあげたりしてきました。最近は、もう少し本格的にTシャツを作ってみたいと思っています。

——今日着ていらっしゃるTシャツも鎌田さんのオリジナルデザインということで。すごく可愛いですね!

鎌田:胸についているポケットが、少しレトロなサーフボードのお尻の形をしています。

サーフィンって日本ではマイナーなスポーツですし、本質的な部分が理解されていない側面もあて、あまり良くない印象を持っている人も多いんですよ。このTシャツから「それ何のマーク?」と会話が始まって、サーフィンの話を始めるコミュニケーションの手段になってくれたらいいなと思っています。

実はこのTシャツのポケットは1枚1枚、地域のおかあさん方に縫ってもらっているのです。Tシャツは今後ラインナップを増やして、少しずつでも販売していこうと思います。テーマは「鵠沼のひとやサーファーに愛される物づくり」です。

Tシャツも、webデザインの仕事と同じで、ターゲットはぐっと狭めていいと思っています。自分の想像力の及ぶ範囲が狭いというのも言えるかもしれませんが(笑)、自分の身近な人を想像して作る方が、より楽しいし、良いものが作れるような気がしています。サーフィンをしていない人でも、友達が着ているTシャツを見て「それいいね、どこの?」っていう広がり方をしてくれたらいいなと思います。WebデザインでもTシャツでも、「人と人」というあたたかみを大切にしたいです。

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——最後にすこしだけ、プライベートのお話を聞かせてください。

鎌田:やっぱりサーフィンは自分にとってすごく大切ですね。大学1年生から始めて今も続けているし、ライフワークだと思っています。「60歳まで少しずつでもうまくなる」ことを目標にしています(笑)。肉体的にはどんどん厳しくなっていくとは思いますが、やっぱり、うまくなるという向上心を持ってやらないとモチベーションが保てないと思うので。

サーフィンは、単なるスポーツではないと思っています。社会秩序や自然秩序の縮図で、学ぶことが多い。波にはリズムがあって、それを掴むか掴まないかでうまく波に乗れるかどうかが変わってくる。それって、人生のいろんなところに応用できることだと思うのです。人生の勉強ですね。

独立してから、少しサーフィンの時間が少なくなってきているので、もっと海に「勉強」に行く時間を増やしたいと思っています!(笑)

——webデザインに、Tシャツに、サーフィンに。鎌田さんのご活躍をこれからも楽しみにしております!今日はどうもありがとうございました!

 

 

インタビュー締めのひとこと

--鎌田さんにとって湘南で働くとは?

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(おわり)

「人と人」というあたたかみを大切に(前編)

 

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インターネットでのサービスが多様化し、さまざまな形での情報発信が可能になりました。

資本力のある大企業や、土地勘のあるIT企業だけではなく、個人事業主や地域の商店など中小の事業者が、インターネットを活用して収益をあげるチャンスは広がってきていると感じています。湘南ビジネスレビューも、そんな世界観からスタートした地域メディアです。

今回のインタービューは、まさにそんな世界観で地元藤沢市を拠点に事業を行っている「鵠沼三丁目デザイン」代表の鎌田啓佑さんです。地域に根ざした「街のインターネット活用相談屋さん」を目指す鎌田さんにお話を伺いました。(取材協力:Share Surf Room

 

鎌田啓佑(かまた けいすけ)

藤沢・鎌倉のホームページ制作 鵠沼三丁目デザイン 代表

プロフィール)
1977年生まれ。中学で鎌倉に移り住み、現在は藤沢市在住。大学時代からダブルスクールでWeb制作を学ぶ。大学卒業後、サーファー向け波情報・気象情報サービス提供会社~CSRコミュニケーションの支援企業を経て、2012年「鵠沼三丁目デザイン」を設立。趣味はサーフィンとTシャツ作り

 


 

波と気象とweb制作と

 

--まず、鎌田さんのキャリアを教えてください。

鎌田:大学生の時はwebの専門学校とダブルスクールをして、大学を卒業してすぐ、サーファーに向けに波の情報を発信するiモードサービスの会社に入りました。Webとサーフィンが好きだったので、自分の中でピタッと来る選択でした。

仕事は波を見て、伝えるという本当にシンプルなもので、毎日、七里ヶ浜から大磯(週に一度湯河原まで)車かバイクで往復していました。で、早く終わるとサーフィンして(笑)。波の様子を伝えるには、実際に海に入ってみることも大事。なので、サーフィンするのも仕事のうち、という雰囲気が社内にありました。

--サーフィン好きには嬉しい毎日ですね!

鎌田:そうですね。最高でした(笑)。
波の情報を伝えるだけではなく、波を正確に予想することで付加価値を付けて行こうという会社の方向性もあり、気象予報士の資格も取得しました。Webの知識と技術を持っていたこともあり、自社サイトの制作・管理も担当し始めました。実は、波のチェックだけではちょっと物足りなさと、正直なところキャリア的な不安も感じはじめていたので、グッドタイミングでしたね。「波チェック・気象予報・Web」、そんな3本柱を中心に仕事をしていた感じです。

--すごい。なかなか無い3本柱ですね。

鎌田そうですね(笑)やりたいことを受け入れてくれる、大好きな会社でした。
そして、段々とwebデザインを中心にやっていきたくなったのです。でも会社としては、それよりも波の予想業務やウェブの運用を中心にやってほしい。

「ウチではwebデザインの仕事は用意してあげられないから、(新しい場所で)がんばれ。」と応援してくださいました。そんな経緯で、5年勤めたその会社を辞めました。

 

「エネルギー最大化」の模索006

鎌田:そして、企業のCSR活動をウェブを通してサポートする会社に入りました。例えば、企業の社会貢献活動に関するWebサイトを制作したり、募金と活動の周知を両立できるクリック募金という仕組みをご提案するような仕事です。そこで、Webデザイナーとして制作を一から学び、最後は営業も経験させていただきました。

しかし、私もクライアントも「企業と企業」として仕事をするので、お互いいろんなものを背負っている。仕事相手の担当者さんたちは、皆さまそれぞれ一生懸命だし、こちらも本気で仕事をしていましたが、ありのままの「人と人」じゃない感じがしたのです。もっと、目の前にいるこの人のためにやりたい!と思えるような仕事がしたいと感じました。そしてこの会社にも5年勤めて、独立を決意しました。

--独立するビジョンはずっと持っていたのですか?

鎌田ありましたね。20代の頃から、いつか地元で独立して、サーフィンをしながら暮らそうと思っていました。

20代の頃は自分の中でサーフィンがものすごく大きい存在でしたが、独立する30代になると、「自分が仕事として、エネルギーを最大化できることってなんだろう」と考える変化の時期になった。そうして模索していって、「身近な人と濃いコミュニケーションをとりながら仕事をすること」が自分にとってのそれだと気づきました。

--その手段として選んだのが、webデザインだったのですね。

鎌田はい。地域の魅力的なお店や企業と一緒に仕事をしたいと思いWeb制作事務所をスタートしました。それがいちばん自分にとってモチベーションとなる、エネルギーがうまく回転する仕事だと感じて。あとはやっぱり、自由にサーフィンを楽しみたいという思いも大きかったです。(笑)

後編(10月6日掲載予定)に続く。