インタビュー

日本初、沖縄純黒糖専門カフェ/黒糖の魅力を伝えたい(後編)

いよいよ開店準備〜飲食店修行と事前マーケティング〜

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--仕入れルートも見つかり、ようやく黒糖の準備が出来ましたね。

大森:そうです。それで、いまのお店の物件との出会いもあって、具体的な開店準備を始めることが出来ました。カフェを運営しようと決めたものの、飲食店での勤務経験はなかったので、喫茶店で2年間アルバイト、平行して1年弱ほど、カフェの開業スクールに通いました。この時は、退職金もだんだん減ってくし、妻に食わしてもらいながら・・でしたねえ(笑)。
実務以外には、マーケティング調査ですね。地域の年齢構成など、役所の資料などを参考に、かなり徹底的に調べました。このエリアにはどんな方がお住まいなのか、お店に来て欲しいのはどんな方かとか。黒糖は、普通の砂糖より高価格なので、お金に余裕のある方々をターゲットにしたいと思っていました。そういう意味では、ここ(茅ヶ崎市東海岸エリア)は良いエリアでした。

 

黒糖茶房ならではのスペシャリティ感を演出する「オリジナル刻印」

 

--そして2012年4月、ついにオープンですね。そんな黒糖茶房のこだわりは?

大森:コンセプトでもある「黒糖」に「沖縄の純黒糖」を使っている点は当然として、あとは環境と飲食物の提供スタイルですね。お客様に「雰囲気良いね」と言ってもらえるように配慮しています。環境については、古木を基調にした内装にして、張り紙しないとか、テーブルの上には何もおかないようにするとか。そういう点は特に気を使っています。もちろん飲食店なので、美味しいものを作ることは大前提です。

 

--飲食物の提供スタイルというのは、どういうことですか?

大森:ほとんどの物を「黒糖茶房」のロゴが刻印されている白木のプレート(写真)に乗せてお出しするようにしています。お客さまの心に残るもの、オリジナリティのある物を提供する為に、看板なども含めて「黒糖茶房」のロゴがついた物を使っています。こういったものをサービスの中に入れることで、黒糖茶房ならではのスペシャリティ感を出したいと思っています。

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--ロゴ入りプレートは写真撮る方、多そうですね。

大森:オリジナル刻印は、開店前から作ろうと決めていたアイテムで、プレートだけでなく、食材にも使ってます。例えば、最中の皮の薄焼きにロゴを刻印して、パフェやあんみつに添えたり。このプレートも、ホームセンターで買えば数百円ですけど、ロゴを刻印して、お店の雰囲気と合ったカタチで提供できれば、何倍もの価値につながると思っています。自分達のホームページで情報発信しても、やはり限界がありますから、こういうアイテムを通じて、お客様に情報発信していただけると嬉しいですね。

 

飲食業の常識がないことが強みなんです。

 

--お客様の反応はいかがですか?

大森:特徴的なメニューは、やはり反応ありますね。例えば、土鍋のパフェです。黒糖茶房ではガラスの器ではなく、一人用の「土鍋」に入れてパフェを提供しています。「土鍋でパフェ」というと、珍しいじゃないですか。それで、お客様のテーブルに運ばれるときは(土鍋の)ふたをした状態でお出しするのです。土鍋のふたを開けたら、色とりどりのパフェが出てくるのが、楽しいかなと思って。
あと、このパフェはお客様ご自身で黒蜜をかけて召し上がっていただくスタイルなのですが、実は、試食会では、けっこう評判悪かったのですよ。「黒蜜のバランスも、お店が考える一番美味しい状態で出すべきではないか?」という指摘がかなり多くて・・。でも、ラーメン食べる前に自分で好きな具材加えたりするじゃないですか?私、あれ大好きなんですよ。同じ様に、お客様がご自身で黒蜜をかける体験を提供したいと思って、試食会では酷評されましたけど、セルフスタイルで提供することにしました。

 

--凄く戦略的に考えられていますね。

大森:いや、戦略的とかそんな大げさなものではないのです。もともと飲食業の経験がないので、逆に業界の常識には縛られてないことが強みですね。アイデアとか、おもてなしとか、そういう価値をどんどん出していきたいと思っています。

 

黒糖を軸にしたビジネスにチャレンジ

 

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--土鍋パフェは、写真をSNSなどにアップするお客様も多そうですが、黒糖茶房さんではインターネットはどのように活用されていますか?

大森:ブログとFacebookページを運営していますが、どうしても新メニューの案内のような、宣伝が中心になってしまうので、うまく使えてないなあ、と思っています。Facebookページだと、「いいね!」済みのファンの方だけでなく、その先のお友達にどんどん情報を拡散させたいのですが、どうしたら上手く出来るのか、悩んでいる状態です。難しいですね。

 

--インターネットの活用という点では、黒糖菓子のネット通販なども検討されているのですか?

大森:実は、妻が前職でネット通販の関係だったので、やってみたいなと思ってはいます。ただ、嬉しいことに現段階では店舗が忙しくて、そこまで手が回らないかなと・・。楽天など通販の資料を取り寄せてみたこともあるのですが、出品料などのコストや、問い合わせの電話対応から梱包・発送などの手間を考えると、今は厳しいかなと思っています。(飲食店業は)天気が悪いとやはり客足も落ちますし、経営的には、天候に左右されないビジネスの軸を作ることが、重要だと思っているのですが。それでも、最近はカフェとしての利用だけではなく、黒糖を買いにきてくれるだけのお客様も増えてきました。凄く嬉しい傾向ですね。

 

--ネットは、通販よりも来店の仕掛けというイメージですね。

大森:特にFacebookはそこを目指して運用しています。来店の仕掛けというと、ネットのクーポンをはじめ、色々な来店促進ツールもありますが、価格訴求をやり過ぎると、お店の雰囲気が変わってしまい、今のお客様が来にくくなってしまうのは嫌だなあ、と思っています。やはり雰囲気や環境は大事にしたいですね。だから、広く情報発信するのではなく、「黒糖」とか「黒糖茶房」に興味を持って来ていただいたお客様に、ちゃんと応えていきたいと思っています。飲食業に限るのではなく、黒糖を軸に販売とかイベントとか、やってみたいことは沢山あるんですけどね(笑)。

 

--飲食、販売、イベントとなると、飲食店のオーナーというより、黒糖のプロデューサーですね!今日はありがとうございました。

 

インタビュー締めのひとこと

--大森さんにとって湘南で働くとは?

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(おわり)

日本初、沖縄純黒糖専門カフェ/黒糖の魅力を伝えたい(前編)

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沖縄では一般的な甘味料である「黒糖」。黒糖の原材料であるサトウキビの中から、1番糖度の高いと言われる、年末から年明けに刈り取ったもののみを、煮詰めて作られるのが「純黒糖」である。現在、沖縄の純黒糖は八つ離島(伊平屋島・伊江島・粟国島・多良間島・小浜島・西表島・波照間島・与那国島)でのみ製糖されている。同じサトウキビを使って作られる純黒糖でもその島ごとに、個性豊かな味わいがあるという。

いつかは独立したいと考えていた大森さんは、サラリーマン時代に、休暇で出かけた沖縄で純黒糖に出会い開業を決意。2012年4月に、茅ヶ崎で沖縄純黒糖専門の和カフェ「黒糖茶房」をオープンした。「色々調べたのですが他になさそうなので、たぶん日本初だと思うんですよね。」と控え目に語る大森さんに、黒糖との出会いから、店舗運営のこだわりまで、お話を伺ってきた。

 

大森健司(おおもり けんじ)

沖縄純黒糖和カフェ「黒糖茶房」オーナー

プロフィール)

1968年、神奈川県生まれ。大学卒業後、スキー用品メーカー勤務、スキー民宿でのアルバイト、スキー用品販売店の仕入れ、店長などを経験した後に、日本初の沖縄純黒糖専門の和カフェ「黒糖茶房」を開業。日本茶インストラクター。趣味はスキー、ボディボード、ゴルフ。
好きな言葉「no ski(snow) no life」「謙虚であれ!」

Web Site: 沖縄純黒糖専門和カフェ「黒糖茶房」

 


 

日本初!です。たぶん!(笑)

 

--まずは、読者の皆さんに「黒糖茶房」の紹介をお願いします。

大森:名前の通り、沖縄純黒糖専門の和カフェです。デザートだけではなく、飲み物のお茶うけやランチのメニューにも、全てのメニューに沖縄産の純黒糖を使用しています。いろいろ探してみたんですが、他になさそうなので「日本初の沖縄純黒糖専門カフェ」です。たぶん(笑)。
全国的にはあまり馴染みがないのですが、沖縄では、黒糖は一般的な甘味料です。スーパーに行くと沢山の種類の黒糖が売られていますよ。良く市販されている黒糖は、黒糖に砂糖を追加した「加工黒糖」ですが、「黒糖茶房」で扱っている黒糖は100%天然の「純黒糖」です。口の中に入れると、落雁の様にさらりと溶ける口触りが特徴ですね。

 

--もともと飲食のお仕事をされていたのですか?

大森:いえ。飲食は初めてなのです。
大学を出たあとは、スキーが大好きだったこともあって、スキー関連用品のメーカーに就職しました。5年間ほど働いていたのですが、スキーの宿をやりたい!と思って、その会社を退職して、スキー客相手の民宿で働くことにしました。もちろん、いつか自分で宿をやるための修行も兼ねてです。
民宿で2年ほど働いていたのですが、バブルがはじけてスキーブームも下火になり、民宿の経営も難しい状況になってしまいました。そんな時に声をかけていただき、今度はスキー用品の販売店で働くことになりました。その販売店には、10年ほどお世話になったのですが、仕入れの責任者や、店長まで任せていただけるようになりました。店長としてお店全体を見ながら、売り場作りなどを経験するうちに、また独立して自分のお店を持ちたい、、と思うようになりました。

 

沖縄・黒糖との出会い

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--スキー用品の販売店の後、再び独立へ?

大森:そうですね。販売の仕事は楽しかったのですが、いつの頃からか「このままだと独立出来ない」ということを考えるようになっていました。それで、自分のお店を持つことを目標に、そのための資金作りとして三回目の転職をしました。印刷物用の紙を、印刷会社さんに卸す営業の仕事でした。久しぶりに、スーツを着て仕事するサラリーマンをやりました(笑)。

 

--そのころにはカフェとか黒糖とか、決めていたのですか?

大森:決めてませんでした。飲食もいいかなあ、位には思っていましたが。黒糖との出会いは、スキー用品の販売店にいた頃です。スキー業界は、夏がオフシーズンで休みも取りやすいので、沖縄には何度か行っていました。そのときとある琉球料理屋さんで食べた「タンナファンクルー」というデザートが凄く美味しかったのです。
その後、たまたま沖縄の店頭で見かけて、パッケージを見たら原材料も非常にシンプルでした。それで、自分たちでも作れるぞ!と思ったんです。作ってみたら本物とはほど遠いモノでしたけど(笑)。それで逆に火がついて・・。絶対にタンナファンクルーを作ろう!と決心して何度もチャレンジしたのですが、うまく行かない。調べていくうちに、原材料の黒糖が違うのでは?というところに行き当たったのです。

 

--シンプルなだけに、原材料の違いが大きかった?

大森:大きいですね。そもそも加工黒糖と純黒糖で全然違います。製法自体はほぼ同じなのですが、原材料のサトウキビが、土地の気候や土で変わってきますから、沖縄の黒糖が他の土地の黒糖と違います。しかも、沖縄の島ごとに、味わいもだいぶ違うことに気がつきました。

 

パーっと灯りがついた感じです!

 

--黒糖がフォーカスされてきましたね。

大森:原料(さとうきび)は同じだけれども、黒糖になると味が違う。健康志向にも合っている。そのままで食べても美味しい。沖縄ほどではないですが、私の住んでいる茅ヶ崎でも、スーパーで数種類の取り扱いはある。甘味料ですから、和菓子店や洋菓子店でも、だいたいラインナップの一つには入っている。居酒屋でも黒糖梅酒はもう定番ですよね。これは面白い食材だぞと思いました。「ワインと同じだ!」って。パーッと灯りがついた感じです。これだ!!って感じで、すぐにお店のコンセプトシート作りを始めました。

 

--そこから「黒糖茶房」開業への準備が始まるんですね。

大森:そうです。コンセプトシートの段階で、現在の黒糖茶房にかなり近いイメージでした。自分のイメージも膨らんできて、もう現地に行くしかない!と思って、沖縄県黒砂糖協同組合に「黒糖専門店を作りたいので協力してほしい」と電話しました。もちろん、ツテは何もないので、ネットで見つけて飛び込み電話です。
その沖縄県黒砂糖協同組合で色々お話を伺って、黒糖工場にも行きました。実は、工場に行っても黒糖は売ってもらえなかったんですけどね。(黒糖が)販売代理店制の流通だということを現地に行って初めて知りました。

 

--黒糖の仕入れにも色々ご苦労があったようですね。

大森:まだ、お店も出来てないですから、信用もないですしね。最初は多少不利な取引も仕方ないと覚悟はしていたのですが、仕入れ先はなかなか見つかりませんでした。そもそも原料のサトウキビの生産者が高齢化で減少傾向にあり、毎年の生産量も、気候の影響が大きく不安定だということも分かってきたり・・。
お店を作ることが出来るのか、不安になることもありました。でも、諦めるわけにも行かないので、その後も色々な人に会って情報を集めていきました。最終的には、どうにかやれそうだなというところまで行けましたが。

 

--どうやって仕入れルートを作れたのですか?

大森:飲食だけではなく、お菓子の販売も考えていたので、黒糖菓子メーカーさんにも相談に行っていたのです。そのお菓子の取引の中で、黒糖も卸していただけることになりました。そこは本当に助かりました。
沖縄の方にとっては、(黒糖は)当たり前のものだから、県外の人間が黒糖専門店をやりたい!と言ってきたことに、興味をもっていただけたようです。「黒糖にはこれだけ付加価値があって、いろんなアプローチが出来ますよ」という私のメッセージを汲んでいただけたのかなと思います。本当に嬉しかったですね。

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後編に続く。

魂が喜ぶことを自然体で楽しみ続けたい(後編)

海と自然と旅をこよなく愛する、サーフ・ヨギーニ岩崎玉緒さんのインタビュー(前編はこちら

 

魂が喜ぶことを自然体で楽しみ続けたい/岩崎玉緒

新しい世界でのキャリア作り

--航空業界の安定した生活を捨てて、ヨガ・インストラクターへの転身する時に不安は?

岩崎:学生時代に、スイミングインストラクターの経験あったので、人に何かを教えるということには、不安はあまり無かったです。そういう仕事(インストラクター)を選ぶことは割りと自然でしたね。

--最初はどんなスタートだったんですか?

岩崎:市の会議室みたいなところを借りて、ヨガ・サークルみたいな感じで始めました。最初は、友達とか自分の回りに声かけて。友達が友達を連れてきてくれて、っていう感じですね。

その次に、スポーツクラブのオーディションを受けてインストラクターに採用していただきました。そこのレッスンを何コマか担当させていただいて。友達や知り合いのネットワークで活動の場所も広がってきましたね。ここ(BEACH 葉山 アウトドアフィットネスクラブ)もそうです。

--たくさんの事業者がスポンサーやアンバサダーとして、玉緒さんの活動をバックアップされていますね。

岩崎:はい、知り合いの繋がりなどで紹介されるケースが殆どで、やはり周りに感謝しかないです。航空業界を辞め、海と深く関わるようになってからは、横乗り業界の知り合いが増えました。だから周りは黒い方ばかり(笑)。航空業界に居た時は、肌を焼けなかったのですが、今では年中真っ黒。誰も元白だったなんて信じてくれません(笑)。

例えば、こちらのSWAMIというブレスレットとの出会いは、パシフィコ横浜で毎年開催されているインタースタイルという展示会から始まりました。(サーフィン、スノーボード、スケボーなどの横乗り系の展示会)そこで、知り合いから紹介して頂き、SWAMIのアンバサダーとして声をかけて頂きました。

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--その展示会には何をしに?

岩崎:私はサーフィン以外にSUP(スタンドアップパドルボード)をしていて、SAWARNA SUPというSUPボードやflojosというサンダルブランドのライダーをさせて頂いています。インタースタイルでは、いろんなブランドの新作を観に行くというのもありますが、何よりいつもお世話になっているブランドが一斉に集まるので出展社さん達にご挨拶に行く、というのが目的です。そういう意味では、色々なところに顔は出していますね。

私はとても人に恵まれていて、周りのみんなが素敵な人を繋いでくれるんです。これにはもう本当、感謝しかなくて、、、。だから私もヨガや自分が何かポジティブな行動することすることで、人と人を繋いだり、元気や笑顔になってもらえることをし続けたい!そう強く思っています。

 

マイスタイル、自分のスタイルを持つ

--色々な出会いで、活動を広げてきた玉緒さんにとって、これは特に大事な出会いだったな、と思える人はどんな人ですか?

岩崎:いっぱいいるなー(笑)。でも、ここ(BEACH 葉山 アウトドアフィットネスクラブ)は凄く大きな出会いでしたね。あとは、Share Surf Roomのオーナーである新さん。私に始めてサーフィンを教えてくれた波乗りの師匠です!

新さんは「マイスタイル」を持っていて、流行や情報に流されず、ブレずに好きなことを純粋な気持ちで貫いています。そして周りの人をリスペクトする姿勢を教えてもらいました。凄く無器用で人間臭い所も大好きです。(笑)

--玉緒さんのマイスタイルとは?

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岩崎:一言で言えば、ナチュラルに、いつも何処でも、自分らしくいることです。例えば、大好きなサーフィンをして毎日の生活の中に自然を感じること。好きなこと、気持ち良いと思うことに情熱を注ぐこと。大切な人を大切にすること。

自分らしくない時って、頭で考え過ぎて、心で感じることが鈍るんです。次から次に進み展開が早すぎると感じる間がなくなっちゃう。これって凄くもったいない。一瞬一瞬を感じて生きていきたいんです。最近は有難いことなんですが、仕事が忙しく時間の余裕が持てなくなっていました。心の余裕がなくなりかけていた。自分のキャパシティを越えかけていたんですね。

それからは、力量の中でやるように心掛けています。豊かさって余裕だと思うんです。空を見上げて、あ〜綺麗だなぁって感動したり、道端に咲いている花に気付いたり。私が良い調子だなと思う時は、鼻歌歌いながら、スキップしている感覚です!(笑)

仲間と働くということ

魂が喜ぶことを自然体で楽しみ続けたい/岩崎玉緒

--沢山のイベントも行っていますが、どのように運営されているんですか?

岩崎:ブッキングから当日の運営までオーガナイザーとして殆ど自分でやっています。ミュージシャン、プロサーファー、食のスペシャリストなど様々なジャンルの方とコラボする時は、それぞれの想いや進め方を尊重したいので、任せる所は完全にお任せしています。

ジャンルは違えど関わる人のパッションやハート、エネルギーが調和した時って、もう本当に気持ち良くて、感動の嵐なんです!魂が揺さぶられます。場所や集まるメンバーも毎回違う。だからこそ、一期一会を大切にまたやりないなって思います。

--イベント全体ではプロデューサーだけど、ある部分ではご自身もディレクターでありプレイヤーですね。

岩崎:そうですね。でも参加者の一人一人が主役であって、あくまで私は案内人のようなもの。皆さんに感じてもらうために、話し過ぎないように気を付けています。イベントとかレッスンって、即興っぽく見えるんですが、事前の準備や打ち合わせは、結構時間かけていますよ。大変だけど、やりがいあります。他にもやりたいことは沢山あるので、どんどんチャレンジしたいと思っています。

--情報発信で大事にしていることは?

岩崎:クチコミが一番大事ですね。いわゆるネットのクチコミサイトじゃなくて、レッスンに来てくれた人が友達に伝えてくれるようなクチコミ。ネットの口コミでしたら、使い方に気を付ければ、Facebookが便利ですね。フライヤーは始めは自分で作っていましたが、最近では専門にやっている友人が手を挙げて作ってくれています。

今、ホームページも作成中で、そうして協力してくれる友人達に心から感謝です。フライヤーは自分が教えるスタジオや、知り合いのカフェに置かせてもらっています。私を知るスタッフがお客様に直接紹介してくれるので、皆さん安心して来れるようで。だからか、お客様とも何だか初めから距離感が近い気がします。これもみんなスタッフのみんなや知り合いのお陰で…感謝感謝ですね。

 

本当にやりたいか?を大事に

魂が喜ぶことを自然体で楽しみ続けたい/岩崎玉緒

--これからはどんな方向に活動を広げていきますか?

岩崎:書くことが好きで、ブロガーもやっているんですよ。Beach Pressとか、On your markとか。自分のブログとFacebookで手一杯で、なかなか時間が取れてないんですけど(泣)。

近い将来、海のそばにサーフィンやSUPができるアットホームなヨガスタジオを作りたいです。ヨガや波乗り後にアサイボールやグリーンスムージーも気軽に飲めたり、音楽も大好きなので、時々ミュージシャンを呼んでLIVEをしたり、プロカメラマンや絵描きの友人の個展を開いたり。

それぞれのジャンルで情熱持って活動する仲間達が、そのスタジオを生かせるナチュラルでクリエイティブなスタジオを想い描いています。

--(個人での活動から)プロダクション化とか形態の進化もありそうですね。

岩崎:ビジネス的な損得もね、ちゃんと考えているんですけど・・。でも、そこにはあまり執着してないです。メリット・デメリットというよりも、本当に自分の魂がよろこんでいるかな?とか、本当にやりたいか?とかそっちを大事にしたいですね。

だから、大きくしたいし、進化したいという気持ちはありますけど、プロダクションみたいな形での広げ方は、いまは考えてないかな。出来れば今みたいなスタイルで、新しい人との出会いとか、新しいアイデアに触れたりとか、新しい領域にどんどん踏み出していきたいですね。

--どんな形で広がっていくのか楽しみですね。今日はありがとうございました!

(おわり)

魂が喜ぶことを自然体で楽しみ続けたい(前編)

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海と自然と旅をこよなく愛する、サーフ・ヨギーニの岩崎玉緒さん。
ヨギーニとは、女性のヨガ修行者のこと。現在はヨガ・インストラクターの仕事をしながら、 多数の事業者からスポンサーやアンバサダーとしてのサポートをうけつつ、サーフィン、音楽や食とのコラボレーションイベントのオーガナイズ、雑誌や書籍の監修、フィットネス・モデルなど多忙な日々を送っている。
振り幅の大きなキャリアを選択しながら生きて来きた玉緒さんは、自らを「おもしろいキャリア」と言う。そのキャリアを振り返りながら、現在、そして今後の 活動について、玉緒さんの活動ベースのひとつBEACH 葉山 アウトドアフィットネスクラブで話を伺った。

 

岩崎玉緒(いわさき たまお)

プロフィール)
海と自然をこよなく愛するヨギーニ、サーファー、フラダンサー。現在は、アウトドアフィットネスを中心にビーチヨガや体と心の治癒力を上げるヨガを指導。ライフスタイルの中で自然にふれ、からだを動かすことを提案し、発信している。アスリートにむけたコアヨガとリストラティブや陰ヨガの陰陽をとりいれたヨガを考案。自身もトライアスリートとして二年連続エイジ優勝をはたす。
丁寧で分かりやすい指導は幅ひろい年齢層に人気。バリ島ウブド、 沖縄、伊豆など国内外にて“サーフ&ヨガリトリート”を開催。ヨガ本、雑誌の監修、フィットネスモデルを務める。東京書籍現代社会の学校教材“働く先輩の言葉“のDVDに出演。アウトドアスポーツイベントや野外音楽フェスにヨガ講師として多数出演。海の上でパドルボードに乗ってヨガをする、“SUP YOGA”のインストラクターとして話題をあつめている。

Web Site: ハッピースマイルのブログ


 

 

私、すごくおもしろい経歴なんです。

--ヨガのお仕事を始めてどのくらいなんですか?

岩崎:7年です。インストラクターを中心に、ヨガツアーを主催したり、自然、サーフィン、音楽、食などのコラボレーションイベントのオーガナイズもやっています。

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--元々、航空会社のお仕事をされていたとのことですが、なぜヨガの世界に?

岩崎:私、すごくおもしろい経歴で、みんなにもよく言われるんですが・・(笑)

元々、体育大学に行ってたくらい、体育会系な人間なんですよ。でも両親が航空会社に勤めていた関係で、 ずっとキャビン・アテンダント(CA)になりたいと思っていたんです。実際に、大学3年生の時に全ての卒業単位を取り、同時期に航空会社から内定を頂きました。大学4年生は卒業見込みとして学校には行かずに済んだので、1年間成田空港でグランドホステスとして勤務していました。

ところが、国際空港で働くうちに英語をもっと学びたいと思い、一年間カナダのビクトリアに小学校の先生としてインターンに行くことにしました。

そうしたら、帰国直前に交通事故に遭ってしまって、、、。ICUに入って、生死の堺をさまようほどの、かなり大きな事故でした。記憶も2日間くらい飛んでいましたね。下半身が全然動かなくて、カナダで1ヶ月くらい松葉杖生活。大変でした。

離れて暮らしている家族に心配かけたくなくて、事故のことは内緒にしていたので、相当辛かったです。体育会でバリバリ身体動かしていたのに、まったく動けなくなって、ちょっと精神的にも病んでしまいそうな状態でした。

 

ヨガとの出会い

岩崎:入院していた病院のインド人ドクターにヨガを勧められたんです。そしたら、身体だけじゃなくて精神面もすごく元気になって「うわ、ヨガって凄い!」って。それがヨガとの最初の出会いでした。それで、その先生に導かれてインドに渡り、アメリカ、アジア、ヨーロッパと世界中をバックパッカーで周りました。その時に、ヨガのインストラクターの資格も取得しました。

--それでヨガの世界に?

岩崎:いえ。やはり学生の頃の憧れを捨てきれず、帰国して大手航空会社の勤務に就きました。バックパッカーの世界一周から帰国して、すごくヨガに魅せられていたし、その時はとても悩みました。

航空界社での仕事は、職場の人間関係も良くて充実していました。飛行機を一機飛ばすのに、どれだけ多くの人が関わっているか学びました。チームワークが重要でいかに先を読んで行動するか、その為には一緒に働くクルーへの想いやりが大切なんです。チームで動くことが多いから楽しかったし。ずっとチームワークのスポーツをやってきたので、チームで助け合うという精神が好きなんでしょうね。

でも、交通事故で自分が苦しい思いをした時に、回りの人に凄く助けてもらって、みんなに恩返しがしたい、そうゆう想いが溢れてきたんです。もっと深く人と関わりたい、そして、身近な人をもっとハッピーにしたい、健康にしたいという思いがだんだん大きくなってきたんです。

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--そこから、ヨガを仕事にすること決めたんですね。

岩崎:はい、最初は怪我のリハビリの為にやっていたものが、ライフワークになるにつれ、今が幸せだと気づかせてくれるツールになっていきました。愛を感じ自分が生かされていることを感じさせてくれた大切なもの。こんな豊かな気持ちにさせてくれるヨガにどんどんハマッていきました。

執着しない/捨てる美学

--航空会社を辞める時に迷いは無かったんですか?

岩崎:なかったです。周囲からはすごく止められましたけど(笑)。私としても、仕事が一番楽しくやり甲斐がある時期でしたが、逆にそういう良い流れの時にこそ、新しいことにチャレンジすべきだと思ったんです。きっとあのまま航空業界にいたら金銭面でも安定していたし、ある意味楽だったからもしれません。会社に守られていた感覚で安心でしたし。でもその状況に執着したくないなと思って。なんていうか、私の中に「捨てる」という美学があるんです。

実は、ヨガの仕事も簡単に軌道に乗ったわけじゃないんですよ。でも、いろんなものを手放してったらスコーンと自然に入ってきて。

魂が喜ぶことを自然体で楽しみ続けたい/岩崎玉緒

 

--まず先に手放してしまおう、と。

岩崎:そうですね。思い描いていたことが、だんだん実現するようになってきたなって実感しています。それだけ努力してきた自負もありますけど、やっぱり手放した結果、新しい出会いや繋がりができました。回りの方にも恵まれ、そんな皆さんに助けてもらいながら、今の私があると思っています。

カナダのインターンシップで帰国の時にも、「こっち(カナダ)で働けば?」って言われたんです。良い職場だったし、信頼関係もあって安定してるし。すごく悩んだ結果、新しい世界をみるために、手放して別の世界に行こうと思いました。潔く、そして執着しないって私の中ですごく大事です。

--安定した世界を出て行くって怖いですよね。

岩崎:ですよね。でも勇気というか、チャレンジ精神があれば、また絶対新しい気付きと発見があるって思うようにしています。

昔は八方美人みたいなところもあったんですよ。みんなと仲良くしなきゃ、、とか。人間関係が重たく感じる時もありました。でも今は、自分自身があるというか、不思議と流されない自信があるんですよね。手放しても大丈夫、みたいな。特に根拠はないんですけど(笑)。

 

後編(8月25日掲載予定)に続く。

「ブルーフラッグ」を掲げ、湘南の未来を切り拓く!(後編)

松下政経塾に入塾。湘南地域の活性化に向けて、自らフィールドへ。

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--その後、神奈川県庁勤務から、松下政経塾へ入塾されますね。このあたりはどのようなお考えだったんですか?

片山:2009年、配置転換で神奈川県庁へ出向になりました。総合政策課で県の総合計画の策定や管理の仕事をしました。ここでは県知事のトップ判断も含め、県の政策決定プロセスを間近で見ることができたんです。とても貴重な経験でした。
当時の県知事は松下政経塾出身で現参議院議員の松沢成文さん。松沢さんに憧れて、自分も松下政経塾への入塾に挑戦してみることにしました。
松下政経塾の塾生は、すごい経歴の方ばかりで、普通なら自分のようなキャリアはダメだと思ったのですが、「現場での経験と強い想いは誰にも負けないぞ」と思い、応募締切の1週間前にすべり込みで入塾願書を提出したんです。そしたらご縁があって合格することができました。
しかし、入塾するためには10年以上勤めた市役所を辞め、3年間の寮生活をしなければいけません。いざ合格が決まって家族や職場に相談したらみんな大反対。母親にも将来が心配だと泣かれちゃって。でも当時93歳だった祖母だけは賛成してくれたんです。
「松下幸之助さんの教えを学んで、世の中のためになるような人物になりなさい」と。そこで迷いが吹っ切れました。

--松下政経塾ではどのような活動をされていたんですか?

片山:松下政経塾では、自分が一生かけてやり遂げるテーマを求められました。それを実現するために、実際にフィールドに入る「実践課程」というものがあります。
例えば、「教育」というテーマだったら学校現場に入る、「農業」だったら農業をやる、「安全保障・外交」だったら海外に行くとか。自分は、本気で取り組めることは何かと考えた時に、テーマを「湘南の海」に決めました。

--ここでもまた原点に戻られたんですね。

片山:はい。やっぱりサーフィンが大好きだったので(笑)。
「海」がテーマなら本気で取り組めると。それで、まず「湘南の海が抱えている課題」について、漁師、海の家、商業者、環境NPO、研究者、自治会など、100人くらいの方にご意見を伺いました。
そこから見えてきたのは、それぞれが自分の立場を中心に問題を見ているということ。
例えば、極端に環境だけを配慮すれば観光客の海岸への立入を禁止にすべきかもしれませんが、観光や商業といった経済的観点から見ると現実的ではありません。環境、経済そして防災が共存する海でなくてはいけないのです。バラバラに取り組んでいるから、それぞれの課題が解決しないんだと。

 

 

「ブルーフラッグ」を湘南から。みんなが共有できるビジョンを創る。002

 

--具体的にはどのような活動をされたのでしょうか?

片山:「きれいで安心安全で活力がある湘南の海」を目指したいという想いは、海に関わる人たちの共通の願いです。様々な立場はあるけど、必要なのは全員が共有できる明確なビジョン。だから、まずはみんなが共有できるビジョンを掲げようと思いました。
そこで、私は「湘南ビジョン研究会」という任意団体を立ち上げ、「湘南の海で日本初のブルーフラッグ取得」を提唱しました。

--ブルーフラッグとは何でしょうか?

片山:ブルーフラッグとは、世界46カ国、約4000のビーチやマリーナで取得されている国際的な環境認証基準です。
具体的には、水質、環境、安全、景観、教育などに関する30項目以上の基準をクリアすると、ビーチに正に「青い旗」を立てられるというものです。海外では、ブルーフラッグ取得後、海岸のブランドが向上して観光客が増え、地域経済が活性化した事例がたくさんあるんですよ。
でも、日本ではまだ取得事例がありません。そこで、湘南ビジョン研究会では、「湘南の海で日本初のブルーフラッグ取得」という目標を掲げ活動を始めました。

--なぜ、ブルーフラッグを目標にしたんですか?

片山:海岸のごみ問題を始め、湘南の海をもっとよくしたいとみんなが思っている。でも、何が本当の課題なのかは誰も分かっていない。だから、抽象的なスローガンになってしまって前へ進めていないのが現状。
ブルーフラッグは、客観的かつ具体的に海の課題をあぶり出せるから、みんなが納得して、その課題に取り組めるようになる。それがブルーフラッグのいいところなんです。
具体的には、30項目以上の基準に挑戦する過程で、クリアできていない基準が明らかになる。これが湘南の海が抱えている本当の課題だと思うんです。そうすると、この課題をクリアするために地域の市民が動き、市民レベルで解決できないことに対して政治家が動き、政治家が動けば行政が動き、行政が動くことで予算が付くのです。

--最初は片山さん個人の思いからはじまった活動が、今は50名以上参加されている団体に成長していますが、どうやって参加者を募っていったのでしょうか?

片山:仲間に恵まれました。地元の鵠沼中学の同級生に「湘南ビジョン研究会をやりたいんだ」と相談したら、「片山が言うならしょうがないな」みたいな感じで手伝ってくれて。(笑)。
最初は5、6人でビーチクリーンから始め、次に「湘南の海を考えるミニフォーラム」を開催しました。
ミニフォーラムでは専門のパネリストをお招きし、海岸ごみ、海岸侵食、津波、漁業、自然エネルギーなど、毎月テーマを変えて海に関する問題を議論していきました。その結果をフリーペーパー「読む湘南」に掲載し、毎月1000部発行していました。友達の居酒屋とかサーフショップとかに置いてもらっていましたね。
そうするうちに、湘南のために何かしたいという想いを持っている人たちが徐々に集まってきてくれたんです。気づいたら湘南ビジョン研究会のメンバーが50人くらいになっていました。
また、ブルーフラッグの活動とあわせ、湘南の資源である「海」を最大限に活かした理想のまちづくりを考えました。具体的には、10ヶ月間で延べ80回にもわたる会議を実施し、10年後の湘南のまちづくりビジョン「湘南都市構想2022」を策定しました。
私の松下政経塾の3年間の成果発表会にあたる「湘南未来フォーラム2013in江の島」の場で最終提言発表を行ったのです。結果、500人もの方に集まっていただきました。

--メンバーとの関係作りでは、どのような点に気をつけていますか?

片山:これまで、プロジェクトや研究会のリーダーとして数多くの失敗をし、会を運営できず、つぶしてしまったこともありました。これらの経験を振り返ると、自分の思いが強すぎて先走ってしまい、まわりを見る余裕がなかった。メンバーが自分から離れていってしまったのも、当然だったなと今は思います。
そこでの気づきは、リーダーは常にメンバーに対して「1人対1人」という姿勢でいること。「メンバーのみなさん」ではなく、「○○さん」と、一人ひとりに声をかけ、その人を尊重してコミュニケーションをとるということだと思っています。市民活動は50人いたら50通りの参加目的がある。ボランティアで給料をもらっているわけではないので、一人ひとりの思いを理解して、その思いを実現させてあげられるような努力が必要だと思っています。

--一人ひとりとコミュニケーションを取る際、ネットをどのように活用していますか?

片山:メンバーは全員仕事を持っているので、メーリングリストを使って効率的に事務連絡や作成書類を共有していますね。その時大切なのは、誰宛てのメールなのかを明確にすること。送られた相手も自分宛てだと分かればしっかり内容を確認するし、必ず返事も来ますね。
全員で共有すべき書類はMicrosoft One Driveに保存して各メンバーがいつでもアクセスできるようにしています。最近は、Facebookも使っていますね。メンバーの活動状況や写真をFacebookグループで共有しています。「いいね」ボタンとか押されると、みんなのモチベーションが上がりますよね。
チームごとの普段の細かいやりとりは、SkypeやLINEも活用しています。まだ使い方が整理できていないところもありますが、より良い方法を見つけるために試行錯誤しています。
それと、実は僕、電話を結構使ってるんです。相手が出なくても留守電に入れるんですよ。メールだけでは伝わらないものもある。電話だと、相手の声の調子や話し方でどんな状態か分かるし、こちらの思いも伝えられる。「うざいな」と思っているメンバーもいるかもしれないけど(笑)、僕はそれが大切だと思っているんです。
でもやっぱり、直接会うことが一番大切だと思うんです。普段の活動になかなか参加できないメンバーがいたら、ちょっと時間が空いたときに会いに行くとか。なかなか難しいけど心がけています。

--確かにネットだけで済まさずに、そういったアナログ、フェイスツーフェイスのコミュニケーションも大切ですよね。

片山:そうですね。アナログでのコミュニケーションを大切にしつつ、一方でNPO活動や地域活性化にもっとネットを活用して、これまでに無かったような斬新な活動を展開していきたいと思っています。

--松下政経塾を卒業されて、今後はどのような活動をされるお考えですか?

片山:現在は、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程(SFC)に在籍していまして、専門は公共政策・市民自治です。
SFCの強みであるソーシャルイノベーションやネットワークコミュニティを学び、これを湘南ビジョン研究所のNPO活動に活かしています。
湘南ビジョン研究会は、2013年12月にNPO法人格を取得し「湘南ビジョン研究所」となりました。NPO法人としては、金銭的な余裕もなくまだまだ力不足な存在ですが、今年度は「ブルーフラッグ」プロジェクトに集中して具体的なアクションを起こし、少しずつでも成果を残していきたいと思っています。今年は8月から「湘南の海を考えるミニフォーラム」を「ブルーフラッグcafé」にリニューアルして再開させます。
今後も、「ブルーフラッグ」活動をはじめ、企業や他のNPOと連携して、湘南地域の「政策プラットホーム」として、大きなうねりを作っていきたいと思っています。是非ご期待ください!

--はい、今後のご活躍を期待しています。本日はありがとうございました。

 

インタビュー締めのひとこと

--片山さんにとって湘南で働くとは?

 

(おわり)

「ブルーフラッグ」を掲げ、湘南の未来を切り拓く!(前編)

 

003

湘南地域の活性化を目指し、2010年に活動を開始したNPO法人「湘南ビジョン研究所」。
「ブルーフラッグ」という、ビーチを対象とした国際環境認証を、日本で最初に湘南海岸で取得するという大きな目標を掲げ、地域の様々な方と連携して活動しています。
「環境・経済・防災が共存してはじめて理想の湘南海岸が実現できる。そのためにブルーフラッグという明確なビジョンを掲げ、すべての人達と一緒に湘南の未来を創っていきたい」。そう語る理事長の片山清宏さんに、NPO法人を立ち上げる背景となった、これまでの人生の歩み、地域活性化への思い、これからの取り組みについてお話を伺いました。

 

片山清宏(かたやま きよひろ)

NPO法人 湘南ビジョン研究所 理事長

プロフィール)
1975年生まれ。藤沢市出身。1999年厚木市役所入所。2005年イギリス・スウェーデンに海外派遣。神奈川県庁を経て、2010年松下政経塾入塾(第31期生)。2013年NPO法人「湘南ビジョン研究所」を設立(理事長)、海の環境問題に取り組む。
現在、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程在籍中。専門は公共政策・市民自治。趣味はサーフィン。全日本学生サーフィン選手権大会4位。


 

湘南生まれ湘南育ち。サーフィン中心の湘南ライフから公務員へ

--はじめに片山さんのバックグラウンドをお聞かせください。

片山:僕は、湘南の藤沢で生まれ育って、高校からウィンドサーフィンを始め、大学ではサーフィンに打ち込んでいました。年間300日以上早朝に海に入ってから大学に行くというストイックな生活でしたね。
湘南の海が大好きで、サーフィンを続けながらずっとこの街に住みたいと思っていました。それに小学生の時、父を亡くして母子家庭で育ったこともあって、母を経済的に支えたい、人助けをする仕事につきたい、という思いから公務員を選択しました。サーフィンを続けたい、という理由ももちろんありました(笑)。

--それで厚木市役所に就職されたんですね。

片山:はい。事務職採用だったんですが、最初に配属されたのが公園緑地課。公園内の清掃をする現場の作業員の方が身体を壊されて、代わりに私が1年間トラックに乗って毎日公園回りをしていました。「片山は体力があるから現場に行ってこい!」みたいな感じで(笑)。
毎朝サーフィンしてからの出勤。大好きなサーフィンがやれるだけで最高の生活でした。正直、仕事よりサーフィンに対する気持ちの方がずっと強かったですね(笑)

--今の片山さんからは想像がつかないですね。

片山:でも、入庁して2年目くらいになって、ふと思ったんです。10年後、20年後の自分を考えた時、果たしてこのような思いで仕事をしていていいのか?と。
サーフィンは最高に楽しかったけど、プロサーファーでない限り所詮、趣味でしかない。一方で、市役所の仕事は、どんなに単純な事務作業でも何らかのかたちで市民のためになっているんじゃないか。それに気づいたんです。なるほど、これはすごくやりがいのある仕事だと。
そこから、サーフィンより仕事に対する気持ちの方がずっと強くなっていった。考え方を180度切り替えて、モーレツに仕事するようになったんです。

--仕事の価値に気づいたきっかけは何だったんでしょう?

片山:そのころ、サーフィン中心だった2年間の仕事の遅れを取り戻すように、仕事が終わって家に帰ってから毎日、行政関連の本をむさぼるように読んでいました。年間200〜300冊くらい読んでいましたね。それで市役所の仕事が、これからの地方分権という時代の中で非常に重要なることが分かり、自分の仕事に対する使命感を感じ始めたんです。
そんなとき、市役所で市長直属の「21政策室」という新しい部署を立ち上げるため、2~3人の職員を公募により庁内から選出するというチャンスがめぐってきました。
応募条件は、管理職以上だったので、本来私は対象外。でも、どうしても入りたくて応募用紙以外にも30~40枚のレポートを書いて、思いを込めて人事課に提出したら、ありがたいことに選抜していただいたんです。

--大抜擢ですね。「21政策室」ではどのような仕事をされたんですか?

片山:21政策室では、10年後、20年後の市のグランドデザインを議論しました。その中で新規の政策を立案し、予算を執行するという仕事を数多くやりました。
例えば、市のIT基本戦略を2年間かけて策定し、実際にその戦略に基づいて全庁的なプロジェクトをリーダーとして実施しました。市ホームページ全面リニューアルや、データセンターの建設などです。
当時、ITの全国まちづくりランキングで、厚木市は確か140位くらいだったと思うのですが、このIT推進化のプロジェクトの成果で3年後には全国3位に入る実績が出たんですよ。

 

突然の窓口業務への人事異動。市民一人ひとりに向き合うことで、仕事の原点に立ち返る。

004--就職した時の動機からは考えられないサクセスストーリーですね。

片山:でも、それからある日、人事発令がありまして、国保年金課に行きなさいと。数億円の予算を動かしていたプロジェクトリーダーの立場から、急に窓口業務へ異動です。事実上の左遷でした。
今思うと、市役所の中で若造なのにいろいろと目立ってやり過ぎていた面があったと思いますね(笑)。異動したばかりのときは、やりがいを見出せなくて、本当に辛くて、精神的にかなり追い込まれましたね。

--急展開ですね。そこからどうやって立ち直ったんですか?

片山:そんな状態の中でも前向きに考えました。「そもそも、自分は何のために市役所に入ったのか?弱い立場の人のために何か貢献したいという思いがあったからじゃないか」と。
いざ窓口業務にあたるようになって感じたのは、市民の皆さんのために働く公務員の本分はここにあるということ。そこで頭を切り替え、窓口業務に一所懸命取り組みました。
国保年金課の窓口は、会社にリストラされた人、離婚した子連れの女性、生活保護を申請することになった人とか、社会の中で立場の弱い方がいらっしゃるわけです。そういう人たちのために自分にできることがあるというのは、本当に素晴らしいことで、とてもやりがいを感じるようになりました。

--そこでまた原点に立ち戻られたんですね。

片山:そうですね。毎日、窓口に相談に来られた市民一人ひとりに向き合って相談に乗っていました。でも、ここで大きな壁に突き当たってしまったんです。
実は、国保の手続きに来た方々は、その背景にいろんな事情を抱えていることが多く、思うように対応ができなかったのです。例えば、離婚した女性が子どもを抱えてこれから住む家も探さなくてはいけなかったり、実は借金をして困っている方だったり、子どもが障がいを持っていたり。
市役所の仕事って、縦割りで、しかも国や県が決めた細かな制度や規則でがんじがらめになっていて、融通がきかず、こうしたいろんな悩みに全て応えられなかったんです。
結局、人のために働きたいと思って市役所に入ったのに、カウンターの目の前にいる市民一人も助けることができなかった。頑張れば頑張るほど、そのジレンマに悩むようになりました。

--なるほど、本質的な気づきですよね。

片山:国や県が制度や規則で市町村の現場を縛っちゃっているんですよ。そこから、中央集権的な制度にものすごい憤りを感じるようになったんです。地域のことは地域で決める体制を作れないと、市民を救えないと。
それで、「制度を執行する立場」から、「制度を作る立場・変える立場」に行かなくてはならないと考えたんです。つまり、政治の仕事です。これが自分にとって大きく意識が変わったきっかけでした。30才の時のことです。

 

後編(8月4日掲載予定)に続く。