地域貢献は自分の成長機会。すべて地続きなんです。(前編)

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「地域貢献も仕事もプライベートも、全て私にとっては地続きなんですよ」― 初対面ながら、気さくにインタビューに答える小川さんの活動領域は広い。

地域密着の建設会社を経営する傍ら、11月23日開催予定の「ちがさき VELO FESTIVAL」の実行委員長等、地域貢献活動にも積極的に取り組む。また、マウンテンバイクやクレー射撃などの多彩な趣味も持つ。

「生きることは楽しむこと。オンとオフの区切りはないですね」―今も様々な領域でチャレンジし続けている小川さんに、地域貢献への思い、そして今後の取り組みについてお伺いしました。

 

小川 裕暉(おがわ ゆうき)

大栄建設工業株式会社 代表取締役社長

プロフィール)

1970年生まれ。茅ヶ崎市出身。

建築専門学校卒業の後、業界最大手の一角である大成建設での勤務を経て、父親が経営する大栄建設工業に入社。35才で父親の後を継ぎ、同社代表取締役社長に就任。

一般住宅や公共施設の新築やリフォーム、耐震補強工事などを主とした大栄建設工業の代表を務める傍ら、茅ヶ崎商工会議所青年部の会長も務め、「ちがさき VELO FESTIVAL」実行委員長、「茅ヶ崎まちづくり協議会」委員など、茅ヶ崎市活性化のための地域貢献活動にも積極的に取り組んでいる。

 


 

コンピューター少年だった中学時代。

 

−−まず、お仕事の内容について教えて下さい。 

いわゆる地場の建設業です。公共工事、民間工事、ビルも住宅もやります。先代である父が創業して、私は二代目社長ということになりますね。

−−小さいころからお父さんの仕事を継ぐという気持ちはあったのですか?

いえ。ありませんでした。中学生のころは、コンピューターの仕事をしたいなと思っていたのです。意外でしょう?(笑)子供のころ、父親にコンピューター(PC98)を買ってもらったのです。PC98は遊べるゲームソフトが少なかったので、中学2年生くらいから自分でゲーム作るためにプログラミング覚えたり、キャラクターの自作ツールを作ったりしていました。学校の勉強はあまりしませんでしたが、プログラミングはずいぶん勉強しました。その頃使っていたキーボードや自分でプログラミングしたディスクも、大事に取ってあります。

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オフィスの片隅にはコンピューター少年だった頃に使っていたキーボードが!

ーーコンピューター少年だったとは意外でした! 

ところが、高校進学の時に父親に「鶴嶺高校か小田原城北工業高校だったら、バイク買ってやる」と言われて、すっかりバイクに釣られてしまったのです。コンピューターも好きだったのですが、友達と一緒に鈍行列車で鈴鹿に八耐レースを観に行くくらいバイクも大好きだったもので・・。鶴嶺高校は、学力的にちょっと厳しそうだなと思い、小田原の城北工業に行くことにしました。城北工業高校を卒業後は、都内の建築専門学校に進み、そこで良い先生との出会いがあって、大成建設に就職させてもらいました。振り返ってみると、高校に入ってからは、すっかり建設の世界でしたね。

−−大成建設の後、お父様の会社である大栄建設工業に入社ですね。

そうです。大成建設には5年ほどお世話になって、26才でこの会社に入りました。最初は大手ゼネコン勤めの気質が抜けなくて、「社長の息子がデカい態度で何を言ってんだ?」みたいな感じで、社員からも取引業者さんからも嫌われて全然ダメでしたね・・(苦笑)。

しばらくそんな感じだったのですが、さすがに半年経ったあたりで「このままではダメだ・・!」と気が付きました。同じ建設業とは言え、日本を代表するスーパーゼネコンと地場の建設業ですから、仕事の進め方から何から全く違うのだと。自分を変えようと思いました。やはり、みんなと一緒になって仕事やらなきゃなと思って、気持ちを変えて少しずつ社員や取引業者の皆さんとも打ち解けていくところから始めました。

 

あの経験がなかったら、二代目の「ボンボン」のままだったと思います。

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−−そこがひとつの転機だったのでしょうか?

はい。でも大きな転機がもうひとつありました。28才の時に先代の社長から「俺は口出ししないから、会社の運営を自分でやってみろよ」と言われたのです。現場のことは良くわかっているつもりで、自分なりに頑張ったのですが、その内、会社で抱えていた現場は竣工してしまって、だんだん仕事が無くなっていくのですよね。まあ、当然なのですが。

仕事がないので、社員には毎日倉庫整理をお願いしていました。仕事は勝手に入ってくるものだと思っていたんですね。当時の常務に「仕事は自分で取ってこないとダメだ!」と言われて、初めて気がついたくらいです。自分でチラシを作って個別訪問の営業を始めました。辛かったですね。「仕事下さい」って頭下げるのが嫌でした。でも、そんなことを1年くらい続けるうちに、新しいお客様も出来て少しずつ仕事が入ってくるようになりました。

−−二代目とは言え、創業に近い経験を踏まれていますね。

はい。本当に口を出さずに黙って見てくれていた先代社長には感謝しています。もちろん会社に余力もあったのだと思いますが・・(笑)。そんな経験を積ませてもらったことが、社長をやれる自信につながったと思います。32才の時に、社長になりたいと思いました。役所の仕事をしていた関係上、3年間の役員経験が必要だったので、すぐに役員にしてもらい、35才の時、会社の30周年に合せて先代と交代して社長に就任しました。

あの経験がなかったら、私はボンボンのままだったと思います。自分も先代と同じような度量があるかは、甚だ不安ですが、少なくとも次の社長が困らないように、会社の仕組みを作ることが自分の仕事だなと思っています。

−−やはり三代目はご子息にという思いですか?

いえ。そういう思いは特にないですね。今の会社のメンバーに引き継げるような仕組みを考えています。もちろん、子供が継ぎたいというのであれば、彼もその候補になるかもしれませんが、それを第一に考えている訳ではありません。永く続く会社にしたいと思っていますので、そのために出来ることをやりたいと思っています。

 

後編(11月25日掲載予定)に続く。

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